ショーシャンクの空に途中から見たんだけどめちゃくちゃ良い話やんけ 本当に良いものを見た時の変え難い感動がすごい来てる 原作者がシャイニングとかミザリーと同じってことだけが怖い
— まことエクストラバガンザ (@makotodayo_age) 2022年5月20日
どうも、まことちゃんです。
ほんと最近「ショーシャンクの空に」を初めて見て(残念なことに途中からだけど)
「めっっっっちゃ良い話じゃん…………!!」
と衝撃を受けたんですよ。
「ショーシャンクの空に」とか超超超名作じゃないですか。映画名作百選とかに必ず選ばれる作品じゃないですか。
道行く人100人に「あなたが思う名作映画は?」と聞いたら全員「ショーシャンクの空に」って言うじゃないですか。まぁこれは盛ったんですけど、リアルにそれくらいの規模で語り継がれている作品ですよね。
「なんで今まで見なかったんだろう?存在には気づいてたはずなのに」
これは私の体験に基づく手記になるとは思いますが、あくまでも私が至った考えであるので強要するだなんてことは全くありません。それにただの自戒でもあります。ご了承を。
さっきの「なんで今まで見なかったんだろう?」の答えを端的に出してしまえば
「宝塚にハマってたから」
になるんですよね。
脳内イマジナリーヅカオタ「宝塚のせいにすんのか!?おお!?阪急を敵に回したら分かってんだろな!?!!」
そう石を投げないでくれ、イマジナリーヅカオタよ。これは私の愚かな偏った性格とオタク気質によるものなんだ。1回石を投げるのをやめてくれ。
まことちゃんの基本スペックをここで紹介します。
・変にこだわりが強い
・これだと思ったら一筋
・ド偏見人間
・思い込みが強強の強
・こだわりが強いゆえに納得しないと気がすまない
いわゆる「狭く深く」人間なんですよね。多分私が広いと思ってるものも一般感覚だと狭いの範疇に入るのでしょう。これ厄介オタクの条件満たしてるのでは?きっと近寄らん方がいいタイプのオタク。
もちろん宝塚もハマった結果、視野が狭い状態が長いこと続いたなぁと今感じてます。
「宝塚こそが至高」
これを本気で第一に掲げるほどの選民思想を持っている狂信者または盲信者ではおそらくなかったとは思いますが、どこかでそう思っていた部分があったんじゃないかなぁ。もしかして図星の方もいらっしゃるのでは?私とおそろじゃん。やったね!
それこそ贔屓の退団発表があってからは「1に宝塚、2に宝塚、3・4も宝塚、5に宝塚」みたいな思考でした。
毎日毎日「退団公演どうなるんだろうか。どんな席かな。何回観れるのかな。話ちゃんと分かるかな。そもそもチケット取れるのかな。というか贔屓退団したら私生きられるのかな?」と考えては世情も絡まり胸がキリキリキリキリして半分生きている心地のしないような、でも宝塚大好きみたいな矛盾生活を送っていました。マジでこの時チケット取れないそれ即ち死だと思ってましたから。実際死な案件なんですけど、そんなDead or Alive的なねぇ……宝塚ってそんなハードボイルドでしたっけ………?紙1枚で運命変わるとかギャングの話かな……?実際のところ運命変わるんですけど………
まぁ、綺麗に言ってしまえば狂乱の青春時代ですね。石が坂道を転がっていくとどんどんスピードが上がるみたいに私も「やべぇーーーーーっ!!!止まんねぇーーーーーっ!!!!!!」ってどこまで行ってしまうのかという恐怖とスリルを味わっていた覚えがあります。実際は結構ビビりでスリルなんか味わいたくないんですけど、どんどん深みにハマっていくのが怖いけれどたまらないところはあったな。書いていけばいくほど私って盲信者なのかもしれないなと心にグサグサとキテますね。しんどい。そんなつもりないのにな、怖いな。
そして盲信オタクハマりがち現象
「自界隈のものが一番良い」
これ私やっちゃってた。素晴らしいんですよ、界隈に誇りを持つことは。けれど、行きすぎて自分の視界が狭まったらそれはあかんて。でも素晴らしいんですよ、自界隈に誇りを持つことは。(重要なことなので2回言う)私は行きすぎて「宝塚が結局なんでも一番なんや!」と言ってる暴君が脳みそに住んでいました……
それも贔屓が退団して変わった。
「世の中って割とすごいものとか楽しいもので溢れてるやん」
勝手に私が楽しめるものはこれだけって決めつけていた自分に遭遇したんですよね。例えばスカステしか勝たんと思ってたけど地上波・BSにも面白い番組あるやん、とか。ミュージカルしか勝たんと思ってたけどストレートプレイも全然ありやん、とか。
10代に宝塚にハマったからこそ見えてなかった世界が今見えてきているんですよ。
そんなん人間ハマるものは人生でいっぱいあるでしょと百戦錬磨のオタクは言うでしょう。しかし、10代という狭苦しい環境でこれだ!!というものに出会ってしまうとそこに自分のアイデンティティを見出してしまったりするのです。それに宝塚は運命的なものが多く語られる場所だと思いますので、ここしかいない!となることも多々あるでしょう。1年以上前の私は少なくともそうだったから。
でも今の私が当時の私に何か言えるとしたら
「楽しいこと探したらまだたくさんあるよ」
って言ってあげたいですね。
世界ってめちゃくちゃ広いから色んなものを見れば色んなことを考えられる。その考えたことが元々の趣味に繋がってさらに造詣が深まることも大いにあるし、その方がきっと楽しい。
あ、一応ですがもちろん宝塚と比べてではなくどれも独立したものとして私は楽しんでいます。別に比べなくても良いものはどれだけ歴史が経とうとも良いものは良い。
かといって、一球入魂みたいにひとつのことに注ぎ続けることが悪い訳ではありません。それをし続けた結果プロとして花開く人だっていますから。
しかし、プロとしてやっている人はひとつの分野だけの知識で仕事をしている訳ではないですよね。プロスポーツ選手だって自分の競技のルールだけじゃなくて技や鍛えるべき筋肉、食事など様々な知識を駆使してこそそこの位置にいられるのですから。一種の狂気がないと続けられないと思います。プロとオタクを比較するなんてと思うかもしれませんが、どこにいたって「もっと知りたい!」と思ったら自ずとほかの分野への理解や知識が求められるのだと私は強く思っています。
結論、狂気じみた探索心こそ我々の原動力ではないかな。オタクに非常に似た意味で「マニア」という言葉があります。「マニア」は狂気の意味のギリシャ語に由来してますから、そういうことなのでしょう。
ただ、その力を様々な方向へ向けたら色んな世界が見えてくると思う。
ということで壮大な自戒でした。
切実に素敵な気狂いオタクライフを送りたい。