どうも、まことちゃんです。
久しぶりのはてブロになりました。
どうしても140文字ではおさまらない感情が湧き上がって、筆をとることになった次第です……
— 早霧せいな STAFF (@SeinaSagiri) 2023年6月1日
いやもう言葉にならない……
どうやって言葉にしたらいいのか分からない……
宝塚が私の青春時代ならば、入口にいて私を導いてくれたのは他の誰でもない早霧せいなさんなのです。
え〜〜〜〜〜〜〜〜寂しすぎるが。
ずっと脳内「寂しすぎるが……」で埋め尽くされてるんですよこちとら。
おばあちゃんレベルで何度もした昔話を掘り返すんですけど感情が湧き上がってくるので聞いてください。
思い出せば高2の春。
いきなり宝塚でるろ剣やってたことを思い出して「そういえば主演の方すごい綺麗だったな。なんて名前の方だったっけ。」と検索したのが全ての始まりだったわけです。
私はるろ剣ファンと言うわけでもなく、親族に宝塚ファンがいるのかと言われたらそうではなく、幼い頃に母が私にバレエをやらせようとしたらチュチュを着ることに抵抗して(その時は女の子らしいものが苦手だったので)バレエの道はやることなく閉ざされるというほんっっっとに宝塚に縁のない人生を送ってきました。
そんな中で見たちぎさんのスチール1枚で私の人生は急転換したのです。
「私はこの人を見るために宝塚に行かなきゃ。」
それは不意にやってきたにも関わらず、まるで天啓のようで未だに不思議に思います。
その時ちぎさんは退団公演中で男役姿を見るのは本当にラストチャンスでした。
人脈などあるわけなく、宝塚のチケットの取り方もよく分からないまま、とにかく一般先着の日に近所のコンビニでLoppiの液晶を叩きまくって取れた6月24日の2階16列目の席。
そして初観劇を迎えました。
私はその日に生まれた。そう思います。
現実では目にすることの出来ない、華やかで煌びやかな世界。その中心にちぎさんがいました。
初観劇のショーが本当に大好き。今でも音楽とともに現れて、お衣装を輝かせながら、圧倒的オーラを放つ姿を見た瞬間のときめきは生きています。
「ここに来て良かった。」
宝塚について何も知らない私がそう思えたのはちぎさんがいたからではないでしょうか。
劇場へのチケットはその一枚しかなく、次はラストデイのライブビューイングでした。
「なんでもっと早く出会えなかったんだろう。」
と思い悩み、寝る前に泣きじゃくったこともありました。こんな体験は後にも先にもちぎさんだけじゃないかなと思います。
今思えば10代とは大きく感情が揺れ動く時期だと思えますが、当時は成長してもこんな感情で泣くことがあるのかと悲しみの裏には驚きがありました。
ちぎさんとの思い出はどれも初めてと驚きだらけです。
ちぎさんを見送った後、私は宝塚から離れてしまうのではないかと思っていました。
相当短いファン歴だったなと思いながら、地元に来ていたから何気なく行った雪組の全国ツアーで大好きな贔屓と出会いました。
全て、ちぎさんがいたからです。
ちぎさんがいたから今の私がいます。
退団後も素敵な姿が見れて嬉しかったです。
そして今日と言う日、2023年6月1日。
きっと6年前の私は今月に控えた初観劇を楽しみに毎日を乗り越えていた時だと思います。
大げさかと思われるかもしれませんが、ちぎさんが宝塚に出会わせてくれたから今も生きていると思います。
辛い時もそばにいてくれた宝塚の原点です。
その真実はどのようにしても変えられません。
「情熱」という言葉はちぎさんそのものだと思います。
きっとしばらくは寂しいと思いますが、どこかで燦々と輝く太陽に負けないくらいのパワーを持って生きていられたらとても嬉しいです。
たくさんの将来の道があった中で舞台にいることを決めてくださってありがとうございました。
ちぎさんのその明るい笑顔が大好きです。