真夜中オタク戦争

語彙力は無い

イザボーの「幸せ」とはなんだったのか? ミュージカル「イザボー」観劇 感想考察

こんにちは!まことちゃんです。

 

 

毎回はてブロを書くのが久しぶりになってしまいます。

Twitterの方がフットワーク軽いんだも~~~ん!!!(意地でもTwitterと言う人種)

 

さて、先日イザボーを観てまいりました。

一幕から目まぐるしいスピード感のある演出と”イザボーの幸せとは”について考えさせられるめちゃ良ミュージカルでした。

 

レポ、感想、考察をこの記事に詰めていこうと思います。

感想、考察についてはネタバレが含まれると思うので一応注意です!

 

まず、まだイザボーを浴びてない方が気になる点だと思いますが、

 

Q.予習した方がいい!?!?!?

 

A.歴史に苦手意識がある方こそ予習すべし

 

もろ世界史がベースになっている作品です。私は高校の時世界史選択だったのですが、全てを忘却しているため公演プログラムに乗っていた百年戦争の解説を読んで何とかついていけました。

ストーリーをちゃんと楽しみたい方は公演プログラムに載っている解説は必読かと思います。

世界史の全てを忘れていた私ですが、歴史は好きなので楽し~!!と思っていました。

だがしかし、幕間でテンション沸いてる私の耳に飛び込んできたのは「ストーリーがよくわからない」という声でした。

ハッとしました。確かにこの作品は学生時代に歴史を苦痛に思っていた方には結構しんどいかもと……

そんなこと言われたって歴史の勉強はしんどいんじゃい!!!!!という方はブルゴーニュ派」「オルレアン・アルマニャック派」という単語とその2つの派閥が対立しているという関係だけでも覚えておけば物語の解像度が増すかと思います!

 

史実を元にしているからこその重厚なストーリーもこの作品の魅力ですが、難しい歌唱を求められる素晴らしい楽曲や一日2公演もやってるとか体力おばけ過ぎるだろ……と思うくらいのエネルギッシュなアンサンブル・スウィングのダンス、目まぐるしく回転する舞台セットなど舞台を総合芸術たらしめる要素で詰まっているんです。めちゃすごいんです!!!!!!

とっつきにくい歴史をここまでエンタメに昇華した末満さんの手腕よ……

なおさらだいちゅきになっちゃいました……

 

ここからネタバレ的な要素になってくるので、未観劇の方はご注意ください……!

 

公演プログラムにも”まず固定概念を壊す”と書かれていましたが、私たちは「最悪の王妃 イザボー」の物語を想定して劇場に行きます。しかしふたを開けてみれば「イザボーは最悪の王妃だったのだろうか?」という問いが与えられる作品になっているように思いました。

私はイザボーはあの時代を懸命に生きただけだったという印象を持ちました。

己の望むことややりたいこと、愛するもののために成し遂げたいことのために生きた女性だと思います。

イザボーは過去の自分に「あなたは今幸せ?」と何回も問われます。彼女は今幸せではないと思った時に自分の力でのし上がってきました。

イザボーにとっての幸せとは?女であっても政治に参加すること、愛するフランスをこの手で守り抜くことだと思います。女は子どもを産んでこそ価値があるというその考えがイザボーにとって理解しがたいものだったからこそ、その幸せをより強く求めるようになったのではないでしょうか。

 

ただ、私が切ないとおもったところはイザボーが国の政治に関わるときに必ず女であることを使っていたことです。民衆たちには肉欲のままに生きる王妃だと罵られています。しかし、ストーリーをみていくと肉体関係を持つことには意味があり、その意味は政治をするうえで味方を増やすためでした。それがイザボーなりの戦い方でした。

「男たちは矛と盾で戦い 女は血で戦う」

こんな歌詞があります。不貞の関係で生まれた子であっても、イザボーの血を引いている限り王家の子です。

それが印象的にみられるのがカトリーヌにイングランド王国のヘンリー5世のもとへ嫁ぐように諭すシーン。イングランドとフランスの懸け橋に自分の血を持った子をいわば人質のようなかたちで差し出す。

これが血で戦うということなんだと客席で思いました。

女であることが参政の障害になっていたのに、いざ自分が政治に参加する立場になると女であることをフルで活用しなければ生きていけなかった。

それに、異国からひとりやってきたときに居場所を作ってくれたシャルル6世と居場所となったフランスを王妃として守るためにこうするしかなかった。

すごく切ない。

 

それに加えて私の切ねえ……ポイントを刺激してきたのはジャンヌ・ダルクの存在です。

先ほどイザボーは愛するフランスのために様々な不貞関係を持ってきたと書きましたが、結果トロワ条約でイングランドにフランスを明け渡すこととなります。

「Rut of fate ー運命の轍-」にてイザボーの葛藤が描かれています。血を求めることで、血が流れてしまった。彼女とてそう簡単にフランスを手放したわけではないと感じることが出来るナンバーです。

正直に言ってしまえば、彼女は負けてしまったのです。愛するフランスを手放すことはイザボーにとって孤独になることを意味しています。

この曲は彼女が彼女の幸せを求める戦いに負けたことを象徴しているかのようです。

そしてイザボーは歴史の表舞台からスッと消えてしまうのでした。

 

その後に現れたジャンヌ・ダルクは血で戦うことなく、男たちと同じように矛と盾を持ってフランスを取り戻す……心が締め付けられますよね……

ですが私はこの物語を悲劇として捉えたくはないです。イザボーにはどんな境地に立たされようと力強く生きたこの人生を誇りに思ってほしい。

セリフの中でイザボーが「悲劇のアンチテーゼ」と言われる部分があったかと思いますがこの一言に尽きます。

目一杯に生きた。それに私たちが悪女や悲劇と名付けるのは一種のエゴな気がしてしまいます。それを言ったらおしまいだろ感はありますが。

 

冒頭にも書きましたが末満さんが目指された「固定概念を壊す」ということを見事にされている脚本だと思います。

まぁ~これは何回も言われていることだと思いますが皆さん歌が上手い。(周知の事実)一曲一曲に魂を込めて、というか命を削る勢いで歌われるのでソワレもあるんだよね!?!と大変ビビッてしまいます。万年スポーツテストD判定だった私は体力の差に泣いちゃいました。多分イザボー出演されてる方みんなシャトルラン無限に走れると思う。記録用紙足らないと思う。

 

これで私も「イザボー」を知ってしまった側の人間になりました。

まだ書きたいことはありますが長くなってしまうので今回はこれにて……!考えることがたくさんあって楽しい作品でした。

MOJOプロジェクトの第1作目とのことですので………2作目期待しております!!!!!

早霧せいなさんへのクソデカ感情が溢れすぎて困る

どうも、まことちゃんです。

久しぶりのはてブロになりました。

 

どうしても140文字ではおさまらない感情が湧き上がって、筆をとることになった次第です……

 

 

いやもう言葉にならない……

どうやって言葉にしたらいいのか分からない……

 

宝塚が私の青春時代ならば、入口にいて私を導いてくれたのは他の誰でもない早霧せいなさんなのです。

え〜〜〜〜〜〜〜〜寂しすぎるが。

 

ずっと脳内「寂しすぎるが……」で埋め尽くされてるんですよこちとら。

 

おばあちゃんレベルで何度もした昔話を掘り返すんですけど感情が湧き上がってくるので聞いてください。

 

思い出せば高2の春。

いきなり宝塚でるろ剣やってたことを思い出して「そういえば主演の方すごい綺麗だったな。なんて名前の方だったっけ。」と検索したのが全ての始まりだったわけです。

 

私はるろ剣ファンと言うわけでもなく、親族に宝塚ファンがいるのかと言われたらそうではなく、幼い頃に母が私にバレエをやらせようとしたらチュチュを着ることに抵抗して(その時は女の子らしいものが苦手だったので)バレエの道はやることなく閉ざされるというほんっっっとに宝塚に縁のない人生を送ってきました。

 

そんな中で見たちぎさんのスチール1枚で私の人生は急転換したのです。

「私はこの人を見るために宝塚に行かなきゃ。」

それは不意にやってきたにも関わらず、まるで天啓のようで未だに不思議に思います。

 

その時ちぎさんは退団公演中で男役姿を見るのは本当にラストチャンスでした。

人脈などあるわけなく、宝塚のチケットの取り方もよく分からないまま、とにかく一般先着の日に近所のコンビニでLoppiの液晶を叩きまくって取れた6月24日の2階16列目の席。

そして初観劇を迎えました。

私はその日に生まれた。そう思います。

現実では目にすることの出来ない、華やかで煌びやかな世界。その中心にちぎさんがいました。

初観劇のショーが本当に大好き。今でも音楽とともに現れて、お衣装を輝かせながら、圧倒的オーラを放つ姿を見た瞬間のときめきは生きています。

「ここに来て良かった。」

宝塚について何も知らない私がそう思えたのはちぎさんがいたからではないでしょうか。

 

劇場へのチケットはその一枚しかなく、次はラストデイのライブビューイングでした。

「なんでもっと早く出会えなかったんだろう。」

と思い悩み、寝る前に泣きじゃくったこともありました。こんな体験は後にも先にもちぎさんだけじゃないかなと思います。

今思えば10代とは大きく感情が揺れ動く時期だと思えますが、当時は成長してもこんな感情で泣くことがあるのかと悲しみの裏には驚きがありました。

ちぎさんとの思い出はどれも初めてと驚きだらけです。

 

ちぎさんを見送った後、私は宝塚から離れてしまうのではないかと思っていました。

相当短いファン歴だったなと思いながら、地元に来ていたから何気なく行った雪組の全国ツアーで大好きな贔屓と出会いました。

 

全て、ちぎさんがいたからです。

ちぎさんがいたから今の私がいます。

 

退団後も素敵な姿が見れて嬉しかったです。

そして今日と言う日、2023年6月1日。

きっと6年前の私は今月に控えた初観劇を楽しみに毎日を乗り越えていた時だと思います。

 

大げさかと思われるかもしれませんが、ちぎさんが宝塚に出会わせてくれたから今も生きていると思います。

辛い時もそばにいてくれた宝塚の原点です。

その真実はどのようにしても変えられません。

 

「情熱」という言葉はちぎさんそのものだと思います。

きっとしばらくは寂しいと思いますが、どこかで燦々と輝く太陽に負けないくらいのパワーを持って生きていられたらとても嬉しいです。

 

たくさんの将来の道があった中で舞台にいることを決めてくださってありがとうございました。

 

ちぎさんのその明るい笑顔が大好きです。

公演中止になると声高に騒ぎ出す輩へ

どうも、まことちゃんです。

最近クソクソクソクソ暑いですね。皆さまちゃんと息してる?私はしてない。

暑いだけでも息できないのにさらに呼吸を狭めるようなことが飛び交っておりますわよ。異常事態ですわよ。

「なんで?」「誰が?」

そうです。私たち舞台オタクがNot舞台オタクに「この前行く予定だった公演が中止になっちゃってね~…」とか話すと五億万パーセントの確率で言われるやつ。

 

うるせーーーーーーーーーー!!!!!!!

しらねーーーーーーーーーーー!!!!!!!!

知ってても貴様なんかに教えるか!!!!!!バーカバーカ!!!

知ってなにがしたいん?魔女狩りでもするのか?人間の思考は中世ヨーロッパから変わっていないのか?愚かしいわ!!!!

そこは「そうなんだ~悲しいね~…。」とかで済ませてくれや!!!日本人の空気を察する国民性どこにいったんや!!!!荒波を立たせない国民性どこにいったんや!!!!

なんか面倒くさい彼女みたいになってすまん!!!!でもそういうことなんや!!!!!

すみません、ついつい荒ぶっちゃいました。多分暑いせいですね。エアコンの設定温度を2度下げました。

 

タイトルに輩なんて好戦的なワードを使ってしまいましたが戦うつもりなど微塵もございません。レスバ(死語 分からん人はggr)とかめちゃくちゃ面倒くさいじゃん。ただそういう人達を形容するのに適してたのが「輩」だっただけです。

自分で言うのもアレですが私は丁寧な舞台ファンですので誰が?って聞かれても「他は分からないけど舞台は必ず『舞台関係者に…』って知らされるのよ。」って答えています。

いきなりブチギレて「貴様、知ってどうするつもりだ!?!?さては役者さんに泥を塗るつもりかーーーーーッ!!!!!ここで成敗いたす!!!!!!!」とかいう侍ムーブはしておりません。一応廃刀令後に生まれたので。

ただ、この詮索する感じすごい胸糞悪いですよねえ。毎回心がモヤモヤする。なんか質問に悪意しか感じられん。これ私の目が偏ってるだけなんか?舞台のオタク以外は何も思わんのか?逆に誰がとか知らされた方がいいと思っておるんか?

この前は某千と千尋が中止になった時に役者さんのお名前がはっきりと明記された状態でネットニュースになってて震えた。

私が「詮索されないように名前は出さないよ。」って言ったら「えーなんかはっきりしてほしいね。」と言われたこともある。震えた。

憂さ晴らしの生贄でも探したいんか?完全にスケープゴートってやつでは?

感染の一報はスキャンダルでもないし、人寄せのためにあるセンセーショナルな話題でもない。

ただただ、とても心が痛くなる出来事。それ以上でも以下でもない。

 

舞台のオタクが中止に対して何も思っていないってことはちっともない。なんならすごくとてつもなくショックを受けていると思う。楽しみにしていた公演が観れない悲しみ、俳優さん女優さんスタッフさんは自分を責めていないだろうかという心配、無事に元気でいらっしゃるのか。不安を挙げればキリがない。明日公演が行われることが当たり前ではなくなってもう何年か経っている。

そんななか、自分たちで自分の機嫌を取って、日々贔屓や推しとか待ちわびている公演のために労働やら学業やら頑張ってるオタクってすげぇよ。みんながみんな鑑だよ。

 

先ほど皆様の健康とチケットの豊穣に捧ぐマツケンサンバⅡを自室にて奉納させていただきました。

これを読んでいる皆様!!!!

怒りは私に任せて安寧のオタクライフを送りあそばせくださいませ!!!!

 

強く生きてゆこうね。

贔屓が退団したら世界が広がった話を自戒にしたい

 

どうも、まことちゃんです。

ほんと最近「ショーシャンクの空に」を初めて見て(残念なことに途中からだけど)

「めっっっっちゃ良い話じゃん…………!!」

と衝撃を受けたんですよ。

ショーシャンクの空に」とか超超超名作じゃないですか。映画名作百選とかに必ず選ばれる作品じゃないですか。

道行く人100人に「あなたが思う名作映画は?」と聞いたら全員「ショーシャンクの空に」って言うじゃないですか。まぁこれは盛ったんですけど、リアルにそれくらいの規模で語り継がれている作品ですよね。

 

「なんで今まで見なかったんだろう?存在には気づいてたはずなのに」

 

これは私の体験に基づく手記になるとは思いますが、あくまでも私が至った考えであるので強要するだなんてことは全くありません。それにただの自戒でもあります。ご了承を。

 

さっきの「なんで今まで見なかったんだろう?」の答えを端的に出してしまえば

「宝塚にハマってたから」

になるんですよね。

脳内イマジナリーヅカオタ「宝塚のせいにすんのか!?おお!?阪急を敵に回したら分かってんだろな!?!!」

そう石を投げないでくれ、イマジナリーヅカオタよ。これは私の愚かな偏った性格とオタク気質によるものなんだ。1回石を投げるのをやめてくれ。

まことちゃんの基本スペックをここで紹介します。

・変にこだわりが強い

・これだと思ったら一筋

・ド偏見人間

・思い込みが強強の強

・こだわりが強いゆえに納得しないと気がすまない 

いわゆる「狭く深く」人間なんですよね。多分私が広いと思ってるものも一般感覚だと狭いの範疇に入るのでしょう。これ厄介オタクの条件満たしてるのでは?きっと近寄らん方がいいタイプのオタク。

もちろん宝塚もハマった結果、視野が狭い状態が長いこと続いたなぁと今感じてます。

「宝塚こそが至高」

これを本気で第一に掲げるほどの選民思想を持っている狂信者または盲信者ではおそらくなかったとは思いますが、どこかでそう思っていた部分があったんじゃないかなぁ。もしかして図星の方もいらっしゃるのでは?私とおそろじゃん。やったね!

それこそ贔屓の退団発表があってからは「1に宝塚、2に宝塚、3・4も宝塚、5に宝塚」みたいな思考でした。

毎日毎日「退団公演どうなるんだろうか。どんな席かな。何回観れるのかな。話ちゃんと分かるかな。そもそもチケット取れるのかな。というか贔屓退団したら私生きられるのかな?」と考えては世情も絡まり胸がキリキリキリキリして半分生きている心地のしないような、でも宝塚大好きみたいな矛盾生活を送っていました。マジでこの時チケット取れないそれ即ち死だと思ってましたから。実際死な案件なんですけど、そんなDead or Alive的なねぇ……宝塚ってそんなハードボイルドでしたっけ………?紙1枚で運命変わるとかギャングの話かな……?実際のところ運命変わるんですけど………

まぁ、綺麗に言ってしまえば狂乱の青春時代ですね。石が坂道を転がっていくとどんどんスピードが上がるみたいに私も「やべぇーーーーーっ!!!止まんねぇーーーーーっ!!!!!!」ってどこまで行ってしまうのかという恐怖とスリルを味わっていた覚えがあります。実際は結構ビビりでスリルなんか味わいたくないんですけど、どんどん深みにハマっていくのが怖いけれどたまらないところはあったな。書いていけばいくほど私って盲信者なのかもしれないなと心にグサグサとキテますね。しんどい。そんなつもりないのにな、怖いな。

 

そして盲信オタクハマりがち現象

「自界隈のものが一番良い」

これ私やっちゃってた。素晴らしいんですよ、界隈に誇りを持つことは。けれど、行きすぎて自分の視界が狭まったらそれはあかんて。でも素晴らしいんですよ、自界隈に誇りを持つことは。(重要なことなので2回言う)私は行きすぎて「宝塚が結局なんでも一番なんや!」と言ってる暴君が脳みそに住んでいました……

それも贔屓が退団して変わった。

「世の中って割とすごいものとか楽しいもので溢れてるやん」

勝手に私が楽しめるものはこれだけって決めつけていた自分に遭遇したんですよね。例えばスカステしか勝たんと思ってたけど地上波・BSにも面白い番組あるやん、とか。ミュージカルしか勝たんと思ってたけどストレートプレイも全然ありやん、とか。

10代に宝塚にハマったからこそ見えてなかった世界が今見えてきているんですよ。

そんなん人間ハマるものは人生でいっぱいあるでしょと百戦錬磨のオタクは言うでしょう。しかし、10代という狭苦しい環境でこれだ!!というものに出会ってしまうとそこに自分のアイデンティティを見出してしまったりするのです。それに宝塚は運命的なものが多く語られる場所だと思いますので、ここしかいない!となることも多々あるでしょう。1年以上前の私は少なくともそうだったから。

でも今の私が当時の私に何か言えるとしたら

「楽しいこと探したらまだたくさんあるよ」

って言ってあげたいですね。

世界ってめちゃくちゃ広いから色んなものを見れば色んなことを考えられる。その考えたことが元々の趣味に繋がってさらに造詣が深まることも大いにあるし、その方がきっと楽しい。

あ、一応ですがもちろん宝塚と比べてではなくどれも独立したものとして私は楽しんでいます。別に比べなくても良いものはどれだけ歴史が経とうとも良いものは良い。

 

かといって、一球入魂みたいにひとつのことに注ぎ続けることが悪い訳ではありません。それをし続けた結果プロとして花開く人だっていますから。

しかし、プロとしてやっている人はひとつの分野だけの知識で仕事をしている訳ではないですよね。プロスポーツ選手だって自分の競技のルールだけじゃなくて技や鍛えるべき筋肉、食事など様々な知識を駆使してこそそこの位置にいられるのですから。一種の狂気がないと続けられないと思います。プロとオタクを比較するなんてと思うかもしれませんが、どこにいたって「もっと知りたい!」と思ったら自ずとほかの分野への理解や知識が求められるのだと私は強く思っています。

結論、狂気じみた探索心こそ我々の原動力ではないかな。オタクに非常に似た意味で「マニア」という言葉があります。「マニア」は狂気の意味のギリシャ語に由来してますから、そういうことなのでしょう。

 

ただ、その力を様々な方向へ向けたら色んな世界が見えてくると思う。

 

ということで壮大な自戒でした。

切実に素敵な気狂いオタクライフを送りたい。

「上田久美子」とはヅカオタにとって何だったのだろう?

 

どうも、お久しぶりです。まことちゃんです。

根も葉もない噂って普通に存在しますよね。ソースどこだよそれってやつ。

 

数日前、とあるツイートを目にして俺のマグマが噴火しそうでした。

「ウエクミ先生、三月末で退団したってよ…」

桐島、部活やめるってよ」みたいに言うな。

そしてソース is どこ。

まさか某「それってあなたの感想ですよね?」氏創設掲示板じゃないだろうな?あそこはだいたい嘘で固められてますから!そんなの古よりインターネットにはびこる連中にはお見通しなんですよ。そして可能性として一番ありそうなウエクミ先生をチョイスするあたり、なんだろう妙にリアルなんでやめてもらっていいすか?

ソースもはっきりしてないでツイートするなどインターネットリテラシーの片隅にも置けんわ。解散解散。

私は捨て台詞を吐いてツイートをスワイプして消しました。

「なんかそういうデータあるんですか?」

 

そして今、2022年4月7日。

私「本当だったわ……………」

頭の中コウメ太夫でいっぱいですわ。

「でまかせの情報かと思ったら〜♪ 本当のことでした〜♪ チックショー!!!!!!!」

チックショーだね。情報戦に負けたという意味で。そういうデータありました。ほんとすみませんでした。

 

でも何となく、いつかこういう日が来るような気はしてた。ここ近年のウエクミ先生の作品を観た方はどこかで感じ取っていたと思うんですがいかがでしょうか?

私にはウエクミ先生の作品が宝塚のスター制度やそもそもの基盤のアンチテーゼに感じる時がありました。トップスター(または主人公)とトップ娘役(またはヒロイン)がいて紆余曲折を経て結ばれるという、宝塚における暗黙の了解に対する反抗のようなもの。

ウエクミ先生が素晴らしい脚本を書かれる度に「なんてまた素敵なものを!!ありがとうございます!!!」と「ここの制約はウエクミ先生にとっては狭すぎるのかもしれない。」がひしめき合って、正直いつまで「作演出:上田久美子」を見られるのだろうと不安が消えないままでした。個人的にこの考えはサパで確信に近づいたかな。元々、転職という形で宝塚の演出助手になったウエクミ先生がずっとここに留まってくれるだろうかという不安もあった。

そして「fff」がやってきて。私はあの作品を観たことはヅカオタ冥利に尽きることだった。もちろん贔屓の退団公演ということもあるが、あそこまで壮大なスケールの物語を宝塚で観ることが出来たことが嬉しかった。人が生きていく上でまとわりつく生と死、幸福と不幸、慈しみと憤りをルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンという人物を通して見ることができた。他にこのような脚本を書ける方は果たしているのだろうか?と心底惚れ込んだ。

しかしやはり、確信した。この方は自分のお芝居を作る上でトップスターやトップ娘役という概念を更地にしたいのだと。トップスターを頂点にしたピラミッドは今のウエクミ先生のお芝居の中には存在しないんだと強く感じた。「fff」によって宝塚では縛りが多すぎるのでは?という不安がさらに大きくなった。

でもそこが私は好きだった。「宝塚」というどうしても約束事が存在する世界で目一杯自分が表現したいことをするそのスタイルが何より好きだった。時には社会派過ぎてすみれコードギリギリだと思うこともあったが、訴えかけるメッセージの中にも知性もあって何度も痺れさせられた。こんな私が言うのもアレだが憧れの存在でもあった。いつか上田久美子先生みたいなパワーのある知性を持つ人になりたいと思うようになった。

 

上田久美子先生には2つのフェーズがあったと私は思っている。

宝塚の様式美を重視した悲しく美しい作風のデビューから「神々の土地」まで、社会派作品に傾倒した「神々の土地」から「fff」まで。ここに「桜嵐記」が入っていないことは後に説明する。「神々の土地」は2つの要素が見事にグラデーションになっている作品であると思っている。私は皮肉屋なのでどちらかといえば後期の社会派作品が好き。

「fff」の中にはこのようなセリフがあった。

「国民の役に立つ音楽を書きたまえ。」

「民衆は、崇高な理想など求めていない。彼らはただ腹を満たし暖かいベッドで眠りたい。そのためなら革命の大義も唱え、それでも不満なら変節して皇帝を支持する。彼らにとっては革命でも皇帝でも音楽でもいいのだ。楽になれたら。いい曲を書きたまえ。国民が日々の憂さをを忘れるような。」

観ていてとても痛烈だと思った。演者を通して書き手の思想が客席にぶつけられているようだった。サパの時に見た「これ以上いくと演者が作者の思想を伝えるための道具になる」というツイートを思い出さざるを得なかった。

今は何もかもが消費される社会になり、エンターテインメントまで大量生産、大量消費になりつつある。客席が「楽しい」しか受け取ることが出来なくなったらエンターテインメントの発展は約束されるのだろうか?考えることをやめてしまったら人間はただの「葦」になってしまうのではないか?

今思えば社会派上田久美子作品の頂点は「fff」だったのかもしれない。このセリフにウエクミ先生の昨今のエンタメに対する危機感が込められていると私は解釈している。

そして先日「桜嵐記」を見た。実は観劇する予定だったのだが体調を崩してしまってそれは叶わず、映像で初めて見ることになった。

そこには初期の作風を思わせる「悲しく美しい上田久美子作品」があった。最後の演出には驚きと感嘆のあまり口を覆った。あれを劇場で観ることが出来ていたら圧巻だっただろう。過ぎたことは仕方ないが、後悔は残る。

「桜嵐記」で見せた久しぶりの美しい悲劇に「原点回帰か?」と思わされたが、原点にして終着点だったのだと今日知ることとなった。宝塚の様式美に贈る愛になったのだろう。

最後に、私は宝塚の制約に縛られないで上田久美子先生が本当に表現したいことを見ることが出来たらと常々考えていた。なのでこの退団を前向きに捉えることが出来た。しかし、そうではない方ももちろんいる。「もっと宝塚で作品を見たかった。」「贔屓に作品を書いてほしかった。」様々あるだろう。私がここまで書き連ねてきたものは上田久美子先生の退団に対しての一個人の感想であり、考えである。

ただ、宝塚から旅立つ上田久美子先生が何かドデカいことをぶちかまさないことなどない、と思いませんか?私はそれを楽しみにしている。ここで収束してしまったら私たちが愛した「上田久美子先生」ではないだろう。

これからはフリーの演出家として活動をされるそうだ。

宝塚歌劇の革命児が演劇界にも革命を起こしてくれることを楽しみにしております。

大好きです。

ヅカオタなら誰しも経験する死ぬかと思ったあの日から2ヶ月以上経ったわけですけど シルクロードと雪全ツも少々

 

こんにちは。まことちゃんです。やっとカレンダーを6月にしました。と思ったら7月が来ました。

タイトルにもある通り2ヶ月以上経ったのですよ。

だいきほの退団から!!

いやはや早いものです。2ヶ月以上かぁ…あと少しで3ヶ月…と思いましたのでちょっとした散文を書かせていただこうと思います。

正直皆さん思いませんでした?

だいきほ退団したらわたし、ぼく、ワイ死ぬのでは?と。

私はめっっっっっっっっっっっっちゃ思ってました!!!!

それこそ世界の終わりだと本気で思っていたのではないでしょうか!本気と書いてマジと読むです。チケットを取る前は毎晩胸が痛いという珍事件に見舞われてとんでもねぇストレスを感じていたのですが、チケットが取れたらそれがなくなってどんだけ自分の中でチケットが重荷になってたんだよ…とドン引きしました。控えめに言ってBADDY10回連続より重たいぞ。BADDY連続で10回とか見たことないけど。あっ今度BADDYについての記事を書こうかな~と思ってます!(書きたい)

チケットの重責から解放されて胸の痛みがなくなったかと思えば今度は4月11日が近づく度にまた胸が痛み出すという。もう泣きてぇわ。私どんだけだいきほへの感情がでかいんだもう消えてぇわ風の前の塵になりてぇ。とか思っていたのでツイッターのタイムラインが見れなくなるというツイ廃まことちゃんからは想像がつかない現象まで現れたそんな日々でしたねぇ懐かしい。

ここからちょっと重たい話になってしまいますが私はだいきほがいたからこそ今生きてんだろうなぁと思っていました!

私はまだこれっぽちしかこの世で生きていないのですがまあまあ色んなことありまして一時期は毎日うつがうつでうつなので自分に絶望みたいな時があったんですけどそんな時唯一の光が宝塚であり雪組でありだいきほだったのです。私がだいきほに出会ったのは生きるためなんだなぁと思っていました。だからだいきほis命の恩人感謝永遠にメンタルだったのでだいきほいなくなっちゃうすなわち私の死でした。

4月12日からどうやって生きていけばいいんだろう。何を思って生きるんだろう。そもそも生きていけるんだろうか?と公演期間は毎日自問自答で何も答えが出ない。出るとしても4月12日になってみないと分からない。不安と高揚感でごちゃごちゃの脳みそだったので学校がなかったのが救いでした。謝謝。

4月11日を迎えた私はたくさんの幸せを浴びたし、感謝の気持ちが湧き出て仕方なかった。大好きだった方がこんなにもきらきら輝いているところを見れる幸せ。あの時は目に飛び込む光景すべてが眩しいほどに輝いていた時間でしたね。多分ライビュ会場で私と隣のお姉さんが一番泣いていたのではないでしょうか。隣のお姉さんとは言葉を交わすことはなかったのですが、最後の方は仲間というか戦友のような意識を勝手に持っていました。私の心の中で固い握手を交わしたあのお姉さん元気にしてるかな?ライビュ会場を最後に後にした私たちには確かに絆が芽生えてたと思うのですがお姉さんはどうですか?(?????)

イマジナリーお姉さんに話しかけても仕方ないので話を進めますがだいきほが退団してから

「私って宝塚好きなんかな?"だいきほ"が好きだったのかな?」

とハマったら悪い意味でヤバい迷宮に入り込んでしまったのです。

4月11日より前の私へ

「だいきほ退団したら何を思って生きていけばいいんだろう。」って今考えても無駄だし12日になってからさらに悩むから早く寝ろ。

4月12日より未来の私より

私は根がクソ真面目なのでこういうことを考えてゥワァアア!!ってお布団に緊急着陸することを得意としています。これもまた一人でぶつぶつ考えてても答えが出ないことなんですけどねぇ…。キリンジの「愛のCoda」という曲があるんですがこの頃の私はこの曲を週7くらいで聴いてまして。あぁ…いい曲だわぁ…と思っても「今はただ春をやり過ごすだけさ。」という歌詞に腹を刺され「助けてー……」とお布団にすがりついてました。でもいい曲なので聴いてください。感想お待ちしております。(?)永遠だと思っていたものが半ばを過ぎるどころか終わってしまった。ずっとふたつの光を道しるべに歩いてきて、それが日付と共になくなってしまったのだから今考えればそりゃパニックになるわなと思いながらキーボードをこうして打っております。旅人は迷えば星々の中心である動かない北極星に方角を問いかけますが、その北極星を見つける手掛かりである北斗七星まで見失ってしまったのだから。

なんかそれらしいこと書きましたけど端的に言えば路頭に迷ってしまった!迷子だ!迷子になったのはスイミングスクールで行ったディズニーシーぶりだ!!とこれから何のオタクをすればいいんだ期に突入しました。恐ろしいことが起こってしまいましたね。思えば2、3歳の頃からオタクじみたことをしていた私にとって「オタクをする」ということは呼吸みたいなもんになっていました。いやごめん、呼吸はちょっと盛ったわ。でも今これを読んでいる方には伝わってると思う。呼吸よね。呼吸じゃないけど呼吸よね。ちなみに2,3歳のまことちゃんは恐竜のオタクでした。さてどうしようか。観劇できない期に大量に買った本があるからそれを消化するか?とか思いながらYouTube見たりとかしてました。怠惰の極み。それでもなんだかんだ息できてたのは学校が始まって忙しかったからかな。謝謝。学校に救われてるわ。まぁ根っからの学校嫌いなので好きになることはないのですが!!!

そんなことしていたらやってきました。

歌劇、グラフの発売日が!!!

だいきほ退団直近だとグラフでしたかね。正直その時は「あぁ…もう現役として載ることはないんだ…」という感情がすごかったのですが多分買わなかったら後で後悔すると思ってもう何回やったか分からんレジ直行をしました。でも表紙のキキちゃんで部屋の心的な彩が増えてクオリティオブライフが上がった気がしました。

花がなければタカラジェンヌを飾ればいいじゃない。

とにかく表紙のキキちゃんが罪だったのは覚えています。あれはオタク最高裁判所で裁かれるやつ。ギルティ。

その次の歌劇。タカラジェンヌが心にじわじわと染みわたっておる…!と気づく。南アルプスの天然水並みのやさしさと清さで傷口を洗ってもらっているような。脱皮のような。けど脱皮したばっかりって柔らかいから衝撃に弱いみたいなので、風邪をひきました!(ガチ)風邪レベルの発熱でも結構しんどかったので某流行してるやつに絶対なるものかと改めてかたく誓いました。みんなも風邪ならないように休んでね。

そして宝塚グラフ6月号でまことちゃんは完全復活を遂げます。

本屋で宝塚グラフ6月号を手に取っている当時のまことちゃんに勝手に中継を繋いでみようと思います!

当時のまことちゃん(心の声)「うっっっっわ!!!表紙のゆりかちゃん超かっこいいじゃんね……!!!!こんなん全国の本屋において大丈夫???偶然目が合って恋に落ちても責任取れませんよ????はーーー中のポートもかっこいい五億!!次たまきさんやんけ!!!!!これはさぁ!!!!恋じゃん!!!!夫婦を超えてゆけじゃん!!!!いまだに覚えてる恋ダンス踊ったろか!!????せおさん!!!!せおさんじゃないですか!!!!この普段のせおさんの近所の兄ちゃんの上位互換最高位みたいな感じホント好きだわ。あ!!!あーさだ!!!!そしてあがたくんおる!!!!あ~~~~~~~~!遥羽ららちゃん~~~~~~き゛ゃわいい………ハァッ…夢白たゃん…きれい…ハァッ………」

長くなりそうなので勝手に中継を切りました。控えめに言ってもうるさいですが本屋という公共の場だったので声には出してないです許して。しかし心の中でひとしきり騒いだ後とっても重要なことに気づくのです。

私、宝塚好きなんじゃん!

この言葉にハッとさせられてスッと心が晴れ渡ったというオノマトペを多用して申し訳ない感じですがこれはちょっと言葉では言い表せない。視界がパッと明るくなったように感じたんですよねぇ。今までのもやもやが払拭されたような。

やっぱ目には目を歯には歯を。タカラジェンヌにはタカラジェンヌなんですよ。(???)

タカラジェンヌってキズパワーパッドなんですよ。(???)

そういうことです。傷は時間とタカラジェンヌが癒してくれます。でもこういう類の傷跡は残ってくれていいけどね。大切な想い出だからね。でもメンタル治るまでにめちゃくちゃ時間要したじゃん。なに?骨折?骨でも折ったくらいの時間かかったやん?骨折ったことないけどさ。

それから雪組全ツ配信を見ました!全ツが配信で観れるだなんて…すばらしい時代になったなぁ…と有難みを噛みしめました。ありがとう現代技術。それに内容もめちゃくちゃすばらしかったですよね!さききわこれがプレお披露目?って思うくらい既に安定感があってこれからの雪組も安泰や!!と誰目線やねん感想を抱いてしまいましたまことちゃんです。さききわほんっっっとに相性がばっちり。

それと同じくらいに思ったのが「雪組生ってこんなに魅力的な方多かったっけ!?」です。いや分かってますよ。雪組生みんな魅力的なことは。でも今回の全ツ配信でこんなかっこいい方いたんだ!?だったりこの娘役さんめちゃくちゃ綺麗だわ……と雪組どんだけ宝石いるんや…もう原石のレベルじゃない…って思うことが何度もありました。宝石がいっぱいいるのはどの組も同じだとは思いますが…!全ツ組でこうなんだから魔法使組が加わっての大劇場公演観たら私どうなっちゃうの〜!?!のワクワク感でその日は嫌いな野菜がおいしく感じました。宝塚、すごい。

「いや~なんか視野広がったな!」と配信の後思うと同時に私は劇場でどんだけだいきほセルフスターアングルしてたんだよと若干あきれました…。やれやれですよ……。でも消えないように眼球に焼き付けておきたいからね!!それもまたオタカツだね!!!

さききわプレお披露目からサイコーじゃん!と思いながら余韻に浸っていた私はとあることを思い出すのです。

「そういえばシルクロードのさききわの場面で私毎回泣いてたんだったなぁ。」

当時興奮と少しの絶望をはらんで、走馬灯のように観ていたシルクロードで未来を感じたのはさききわの場面でした。それは芽吹きの高揚感なのかこれから育まれる愛の輝きがまぶしすぎたのか。はたまたどちらもか。旅路の最後の夢のなかにいてくれたさききわに「これが本当の終末ではないんだ。」と教えてもらった。そんな場面だったと思います。

そんなこと言うとりますがこれからも一宝塚ファンとして今までと変わらず細々と観劇してまいります!宝塚好きなので!!未来の私はまた狂っているかもしませんので暖かい目で見守っていただけたら幸いです。先日、というか昨日ですね。花組の千秋楽がありましたね。喪失感にさいなまれている方もいらっしゃると思います。「元気出して!」とは言いません。そんなんで元気出たら苦労してないわ。それにこれからどうしたら…と漠然とした不安を抱えている方もいるかもしれませんので私自身の振り返りのためもありますが二ヶ月以上経ってみて私はこうでしたという手記を書いてみました。少しでもご参考になれば幸いです。

人生は幸せだった!これからも!まことちゃんでした。

追伸

傷が癒えたように言っていますが先日NZMのファーストランを見ようとしたらまだ心の準備ができていなかったのか10秒くらいしか見れませんでした。完全に癒えるまではまだ時間がかかるようです。オタクのみんなは止まるんじゃねぇぞ…………。けど走り続けても疲れるから適度に休もうね…約束………………。

 

歌劇の演出家勢がうらやましくなったので激重オタク私も言葉を贈りたい 真彩希帆編

私たちの音楽の天使へ

 

どうも、まことちゃんです。生田先生のパクりました。ごめん生田先生。私も言いたかったからさ。

ということで今回は真彩ちゃんへ言葉を贈りたい。(一方的に)前回「望海風斗編」って書いたのは真彩ちゃんの分も書けよ自分という尻たたきです。本当に大好きだからこそ本当に気持ちの言語化が難しいのですが頑張りますね。

↓前回の望海さんへ(一方的に)贈る言葉

 

真彩ちゃんとの最初の出会いは「琥珀色の雨にぬれて」、いや初観劇の「Dramatic S!」のエトワールか?実は違うのです。

おとめでした。おとめが出会いってどういうこと?となる方も多いと思います。私好きな花が乙女椿でして。そしておとめには好きな花の項目があります。まだまだ初心者オタクだった私はとりあえずおとめを見ていました。そして乙女椿が好きな方いたらいいな~と思いながら見ていたらひとりだけいらっしゃったのです。

それが真彩希帆さんでした。

当時の私は「乙女椿が好きな方がいた!!まあやきほさん……!覚えよう……!」とまるで別の星にいるかのようなキラキラしたタカラジェンヌと自分との最初の共通点を見つけることとなるのです。私なんかがおこがましいですが最初に「おそろい」が出来たのが真彩ちゃんでした。

そして数か月が経った時私は運命となる「琥珀色の雨にぬれて」を観劇しました。

真彩ちゃんのシャロンを見たとき、それが宝塚ファンとしての私の第二の誕生でした。早霧さんに一目ぼれをしたのが誕生ならば真彩ちゃんとの出会いは間違いなく第二の誕生であり精神的な自己の芽生えでした。今でも鮮明に思い出すことが出来ます。白いやわらかなお衣装が綺麗な円を描きながら広がっていく様子。その真ん中で歌うその方は今までテレビからもラジオからもスマホからも聞いたことがない朗らかで澄み渡った声をしていて、「妖精がいる」と思わずにはいられなかったのを覚えています。私の人生において心の底から人を妖精だと思ったのはあの一度だけでした。先ほどおとめで「覚えよう……!」とか言っていたのになんと琥珀を観劇した時あの「乙女椿が好きな真彩希帆さん」という認識はなく「新しい雪組のトップ娘役さん」という認識で観ていた私は帰り道、芸名もわからないあの素敵な「新しい雪組のトップ娘役さん」で頭がいっぱいでした。お芝居のシャロンの所作、セリフと恋はSwingがずっと頭の中でリピートされて次の日もそれは止みませんでした。次の日も学校だったので「ごめん、我慢できなくて『北イタリアにあるマジョレ湖って湖ご存じ?』とか言っちゃうかもしれない。全然無視していいから。」と友人たちに言ったのを覚えています。いきなりそんなこと言ってごめん、友人たち。でも一瞬で心を奪われたのです。だからゆるして。シャロンは私の初恋の人なんです。私はシャロンに恋してしまったのです。

それから真彩ちゃんのことが気になる期間になりました。その間に「ひかりふる路」が始まり、ツイッターを通して真彩ちゃんの喉のことを知りました。確か私が一回きりの観劇を終えた後にその話題が出たのでライビュの時はきっとこれからのために温存されるのだろうと少しだけ思っていたところがありました。けれど真彩ちゃんは違った。舞台と真正面で向き合って魂を削り燃やすような絶唱をマリーアンヌにさずけた。あの時の全ての不や負と戦うようなマリーアンヌを見てこの人のように生きたい、それはできなくてもこの人の生き様を見ていたいと思いました。メタ的な目線と舞台で生きている役があんなにも重なったところをあの当時の私は見たことがなかったのです。どれだけ削れても潰えてしまうことの無い強さを宿したお方。今、そして未来を掴み取る「綺麗」だけではないお方。あの時マリーアンヌを通して真彩希帆さんを見たのです。マリーアンヌが理想を通して希望を見たように。

そして私は「シルクロード」でこれまでに増して幸せそうなお顔した真彩ちゃんを見ました。その時にこの方をずっとずっと大好きでいてよかったと心に花が開いたような気持ちになりました。真彩ちゃんがくれた思い出は宝石です。永遠に輝きを失わない希望のダイヤモンドです。

おそらく真彩ちゃんのように私は生きれなかった。でもこれからもずっと私の憧れです。自分の意志を持ち、船頭に立って勇敢に突き進む真彩ちゃんの姿はヒーローそのものです。ヒロインとヒーローを併せ持つなんてそんな最強な人いますか!?そんな真彩ちゃんの船が旅を終え、新しい門出の時を迎える時になりました。船は古来から水平線を越えて人に希望を与えてきました。東の空から昇る太陽のように。真彩ちゃんは船であり太陽なのですね。そして音楽の天使でもある。ヒロインでヒーローで船で太陽で音楽の天使な真彩希帆さん。ずっとずっと大好きでした。そしてこれからも。

二度と戻ることのない「Home」を旅立つのですね。

東から昇る太陽のような貴女。今灼けつくような西日を放っている貴女。あと少しで水平線の向こうへ消えてしまうのですね。「愛する人を殺すなんて出来ないわ。」私たちは愛する貴女を殺せない。でも時間は無慈悲なのですね。残酷なのですね。

アメノウズメに導かれた貴女は宝塚にさんさんと降り注ぐひかりを希望をくれました。

また東の空から昇ってくれる日を願って。

ご卒業おめでとうございます。