真夜中オタク戦争

語彙力は無い

歌劇の演出家勢がうらやましくなったので激重オタク私も言葉を贈りたい 望海風斗編

どうも、まことちゃんです。

今月の歌劇をやっと読みました。買ったときに思ったんですよ。

今回、分厚いぞ。重たいぞ。(質量的に)

読んだら重たいぞ。(愛情的に)

こんなに自分の好きな方々がいろんな方から愛されているのを可視化できる機会ってそうそうないですよね。宝塚って素晴らしい~!!(210億回目)といろんな方からの言葉を見て思いました。それまではよかった。歌劇から顔を上げたとき

私も言葉贈りたいんだが

邪念が生まれました。邪念を取っ払うべきか悩みましたがこんなにとある誰かに対して多くの感情が湧くこともきっとこの瞬間だけだろうと思ったので鉄は熱いうちに打ちます。しかし鉄ではなくパソコンを打ちます。21世紀なので。

今回は望海さんへ言葉を(一方的に)贈りたいと思います。

望海さんは私が宝塚にハマって三番目くらいに名前を覚えたタカラジェンヌさんだと思います。なぜ三番目かというと私は早霧せいなさんから宝塚に入ったので「さぎりせいなさん」「さきひみゆさん」その次が「のぞみふうとさん」だったからです。あの時はちぎさん!!!好き!!!!だった私がこんなにも望海さんにどっぷりいくとは思ってもいませんでした。こういう思ってもみなかった時が一番ヤバいことをオタクなので知っています。現状、ヤバいです。

望海さんを思うとやはり「琥珀色の雨にぬれて」と「ひかりふる路」を思い出します。それが今の私のルーツです。それと恐らくかんぽの特番で生田先生が望海さんのことを「イメージの顕微鏡」と言いましたがあれは「イメージの万華鏡」と言いたかったのではないかなということも同時に思い出します。そんなところも好きだぞ生田先生。

先ほど思ってもみなかったと言いましたが本当の本当に今の私から想像できないほど思ってもみなかったのです。宝塚にハマってから約二か月大好きな早霧せいなさんを見送り私どうしたらいいん?となっていたところにプレお披露目の琥珀で地元に来てくれると知った時にやったあ!!また宝塚観れる!!と思ってこう言ったらあれですが今と比べたらすごく軽い気持ちで観劇に行きました。しかもその日学校だったので望海さん同じ県内にいるんだなぁってるんるんしながら授業を受けてました。今だったらハーッやっば同じ空気吸ってるやっばだからね。それからというもの今日まで来たのがすごく早かったです。あの時二階席からクロードを見てかっこいいなぁ素敵だなぁと思っていた女子高生は大人の仲間入りをしました。早いですね。正直なことを言うとあの頃に戻りたいです。琥珀を観てから一年くらいは私にとって本当につらい時期でもあったのですがその苦労を再度経験してでもいいからまた望海さんが0番に立っているところを最初から見たいです。

「いつも全身全霊を込めて働く、我が英雄へ」

今回のfffでこのようなセリフがあります。役を突き抜けて「望海風斗」という役者の髄を象徴するような、まさにメタ的にとれるセリフだと思います。これに関しては多くの場所で言われていて私が言っても何番煎じかわかりません。けれど最初の文字から最後の文字まで、徹頭徹尾真実なのです。日ごろ妄言しか吐いていないので私の持つ数少ない揺るがぬ真実は声を大にして言いたい。望海さんは英雄であり私のひかりでしたと。日陰の青春時代が完全に真っ暗にならなかったのは望海さん率いる雪組のおかげだと。私以外のみんなは笑っていて私だけが泣いていると思っていた時もテレビからスマホから聞こえる望海さんの声で奮い立たせてもらいました。望海さんの歩く道はひかりふる路であり、私の路の道しるべだったように思います。真っ暗に近い日陰を歩いていたけれどたまにある「雪組観劇」という光る看板を目印に歩いていました。

望海さんはお芝居では影のあるお役が多かったように思いますが影があることでひかりが生まれるのです。影を通してひかりを見るのです。そしてショーでは望海さんは強烈なひかりとなって現れます。私はそのひかりを真正面に受け、その時だけでも自分の影は見えなくなりました。身体と命を持てあますことなく生きることを教えてくれたように感じます。そして私は望海さんのおかげでこうして文を書いています。望海さんが芝居を深く考える楽しみを教えてくれました。それは望海さんの豊かな想像力と細やかな部分にも気づく目が生み出す役作りがあるからこそです。

まだおそらく書きたいことはあると思いますが最後にこれからも忘れないであろう瞬間についてお話しさせて下さい。

それはシルクロードの黒燕尾 。

あれは走馬灯。 我々の走馬灯でもあり望海さんの走馬灯でもあると思っています。

マイ楽の時大階段を昇っていく望海さんを見て「あぁ、宝塚で望海さんと出会えてよかった」と思ってそこから号泣しました。望海さんは舞台上で泣くことはめったに見ないしいつもビリビリとした緊張感と歌声をお持ちだからいつも観劇の際は私の気もピンと張っているような状態ですが劇場であんなに泣いたの初めてでした。 本当に素直に心から出たそのままが「ここで出会えてよかった」だった瞬間でした。 燕尾とか群舞は男役の強さが強調されることが多いと思うのですがシルクロードの黒燕尾には男役という存在の儚さが見えてそれが強さと表裏一体になっている。今まで感じたことがなかったその雰囲気はとても神聖で神秘的でまたしても新しいひかりを見ました。ただただ明るいひかりを。それは星が死ぬ前にどの星よりも光り輝く閃光のよう。0.0000000000001光年の星が消えるその時私たちは何を思うだろう。

人さえ人にとどまらぬ。何事もとどまることはなく流動的だからこそ星々は輝き、文明は発達し、時代も日々ゆうるりと動いている。その小さな歯車のひとつでしかない私たちには時間がない。だからこそ今持っている愛を伝えなくては。愛をあるだけすべて。

ご卒業おめでとうございます。

謎の女とトートは全くの正反対なんですよ 雪組fff 独断と偏見考察

謎の女ちゃんはトート閣下ではない!!!!!

どうも、石油が切れて身も心も凍り付きそうなまことちゃんです。

fff、すげ~…ってぼんやりしてたらもうね、時が進んでいました。なにをしていたのだろう自分。ムラ楽前は東京までの間に望海さんの過去作見返して…あれしてこれして…って思ってたんですけど何一つできんかったね!!!!!なにをしていたのだろう!!!!ちなみにチケットのこと考えたら眠れなくなった日が4日ほどあったのは覚えています!!!!

まぁそんでもってTL見てたら「謎の女ちゃんってトートっぽいよね。似てるよね。」的なのが浮上していて

否!!!!!!!!!!!!!!!

と思いましたので論じます。(あくまで私の論ですのでお手柔らかにお願いします。)

そしてこれから本編最後の方についていろいろ言っているのでネタバレ注意でお願いします。

というかみんなさぁ、黒い服で概念の役で何となく不吉っぽいからトートって言いくるめたら謎の女ちゃんかわいそうじゃん!!謎の女ちゃんは謎の女ちゃんなの!!!!オリジナルなの!!!!!って言うとりますけども…

謎の女ちゃんは「生」である。

先に結論言いましたがこれだと私は思います。トートとは概念が根本的に違う存在であると私は考えます。そもそも真反対であると。

謎の女ちゃんが「不幸」ならば間違いなく謎の女ちゃんは「生」です。謎の女ちゃんは「生きること」そのものなんですよ。

そもそも人間の人生においてなぜ不幸が存在しているかというと

それは人間が「生きているから」なんですよね。

生きているから幸せや不幸の概念がある。生きているから苦しみ、哀しみ、嘆きが生まれる。

「死は救いなの。」

それは人間が生きることで生まれた不幸という存在である謎の女ちゃんだから言えること。生きることの辛さを知っているから「死は最後に生が与えることができる救いである」と謎の女ちゃんは言っているのかな。「死は逃げ場ではない」を言うトートは元々死そのものの概念だったからこそ死は救いだとは言わない。謎の女ちゃんとトートでは抱えている死生観の根本が違うと思うんですよね。だってトートが死が救いだと思っていたらルドルフが死んだ時シシィの命を奪いますよね。しかも自分から助けに行くと思いませんか?愛するシシィが苦しんでいるなら最後の救いを与えるために死を与えると思うんですよね。でも死は逃げ場ではないとシシィを突き放す。謎の女ちゃんは耳が聞こえなくなったルイを思ってライフルを突き付ける。なぜなら謎の女ちゃんは死は救いであると思っているから。耳が聞こえなくてもう終わりだと世間に見放されたルイへの最後の救いのために死を与える。苦しい生を終えるために。謎の女ちゃんが「生」であるからこそできるのでは?

まぁそもそもエリザにおけるトートという概念は不安定なもので、もしかしたらシシィまたはルキーニが生み出した個人的な存在かもしれない。エリザベートという物語そのものがルキーニの狂言かもしれない。エリザについて話し始めちゃったらながーーーくなっちゃうので今回はあんまりしないんですけど…トートはTod(死)なので誰の中にもいる概念だとは思うんですけどね。そしたら謎の女ちゃんも最後の方で私みんなのところにいたって言ってますから存在の在り方自体は似ているのかなと………でもきっとあの姿で現れるのはこの物語の中だけなんだろうな。エリザのトートの外見はシシィが心酔したハインリヒ・ハイネがモデルともいわれています。あくまで死や不幸などの抽象概念は想像の存在。感覚ないし経験を超え出でたものなので。

なんでfffがエリザを連想させるのかなぁと思っていたのですが多分抽象概念と結ばれるというところにあるんだろうと考えます。個人的にエリザではシシィとトートは真の意味で結ばれることはないと思っているのですが今回のfffは完全に概念と愛し合うことを成し遂げているので若干そこがエリザを呼び起こすのかなぁ。それに二つとも負の概念と対峙することが物語の主軸になっている部分もあるからかな。でもねぇ、似てはいないよ。なぜかってこの二作品における掲げているテーマが対になっているように感じるんですよね。エリザベートが「死への誘い」とか「メメントモリ」だったらfffは「生きることを愛する」という人生讃歌的テーマを堂々と発信しているように思います。

そして謎の女ちゃんが「生」の中でも「負の存在」であるというのは「運命」になる前でありますね。「運命」になっても「生」であることには変わりないけれど。生は陽であり死は陰であるかのような考えが世の中にはありますがおそらくそんなことはなく、生にも陰と陽は存在し、死にも陰と陽は存在する。謎の女ちゃんは生を陰として捉え、死を陽として捉えているように感じます。「不幸」である間は。

そしてルイの「お前の名前がやっとわかった。」「『運命』…生きることが苦しみでも、俺はお前という運命を愛するよ。」のセリフで謎の女ちゃんは多分初めて誰かに受け入れてもらえた。そしてルイの中での存在の仕方が変わった決定的セリフですよね。この生きるうえでの苦しみを受け入れ、そして愛するってすごく永劫回帰だしニヒリズム的に思えるんですよね…能動的ニヒリズムってやつ…そして超人になったルイ…みたいな。そもそもルイにはルサンチマンめちゃあったと思うけどそれを脱却して不幸を丸ごと運命として受け入れた…のかなとか思っているんですけど。

おいおい、永劫回帰とかルサンチマンとかなんだそれってなっている方には

山川の倫理用語集~!(某青いネコ型ロボット声)

を読んでいただきたい。私がツイッターでごり押ししてるやつですね!哲学用語ってネットで調べると余計意味わかんなくなるんだけど山川の倫理用語集は高校の教科書になぞって作られている参考書ですから本当にわかりやすい。ありがとういい薬です状態。fffではカントの名前が出てくるからカントの思想を軸に作られているのかなって思ってたんですがこの倫理用語集読んでると結構色んな思想があてはめられるなと感じます。さっきの永劫回帰とかニーチェさんのやつだし。

一応説明させていただくと

能動的ニヒリズムは「無意味な人生の悲惨さを直視し、力への意志に従って既成の価値観を壊し、新しい価値や目的を設定する態度。」(ニヒリズムは伝統的な価値観や権威をすべて否定し、破壊しようとする思想。虚無主義と訳されることもある。ニーチェは神の死により世界の統一的な秩序が消滅し、人生の意味や目的の意味が見失われるニヒリズムが到来したと説いた。)

ルサンチマンは「恨み・怨恨を表すフランス語をニーチェが弱者が自らの無力さゆえに強者を憎悪し、復讐しようとする心理を表す用語としたもの。」

超人は「生の根源的な生命力を発揮し、今までの人生や自己自身をこえでて、力強く成長する主体的人間像。伝統的な価値観が崩壊する中で、超人はニヒリズムの無意味さに耐え、現実のただ中で自ら意味や目的を生み出して、新しい価値の創造者となる。」

永劫回帰は「世界は意味もなく、永遠に繰り返す円還運動である。人間の生もこの世で体験した喜びや苦しみと共に永遠に回帰する。この無意味な世界の繰り返しの運命に耐え、それを己のものをとして愛し、充実させることが超人としてのあり方である。」

って全部山川の倫理用語集に書いてありました!!!!!優秀かよ!!!!!

哲学とか独学だし素人なのでほんと話題に出してごめんなさいって感じなんですが配信見たときにそう思ったんだもん…ゆるして…ニーチェとかベートーヴェンより全然後の人だけど…けどさ、永劫回帰の説明とかまんま最後の場面のルイじゃんって思いません?私は思いますぅ!!!(食い気味クソデカ声)世界は意味もなく、永遠に繰り返す円還運動ってなにそれシルクロード??(ショーとのつながりを強引に見出す奴)

そして「運命」となった存在と共に歓喜の歌を生み出すに至ります。詩のほとんどはシラーが書いた「歓喜に寄せて」という詩の一部なのですが、冒頭だけはベートーヴェン自身で書いたと言われているみたいです。

「おお、友よ、このような響きではない!

もっと心地よい歌を、

もっと歓びにあふれた歌を、

歌おうではないか。」

この部分がベートーヴェン自身が書いた文章だとされています。ハイリゲンシュタットの遺書には「私を引き留めたものはただ『芸術』である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ。」と書いてあります。ハイリゲンシュタットの遺書は遺書とありながらも文面からは多くの憎しみや悲しみを抱えながらもメラメラと燃え上がる原動力のようなものを感じるんです。そしてルイ自身が最後の交響曲で「もっと歓びにあふれた歌を、歌おうではないか。」というところ。耳が聞こえないという不幸に支配された人間だったら書けない文章だと思います。運命による大きな不幸を目の前にしても握った一本の鉛筆を手放すことなく五線譜と向き合い、果てには運命とすら己の精神と溶け合い歓喜の歌を作り上げた。その人物のビハインドを知れば知るほど深い意味を持つような歌詞ですよね。そして「このような響きではない!」にはこれまでの既存の音楽の破壊、破壊から生まれる新しい創造を追及していたアーティストであり音楽に革命を起こした音楽家であるルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの最後まで尽きることない探求心と不屈の魂を感じるのです。

あらあら、これじゃfffの考察じゃなくて歓喜の歌考察になってんよ!!

とにかく!!ルイと運命がいくつもの障壁を乗り越えて人と運命が愛し合うという境地に至ったからこそこの歓喜の歌は生まれたのではないかと。そこには今までルイが持っていた憎しみなどは存在せず全て解き放たれている。そんな状態にあるように思います。

そして最後にあるロールヘンの手紙。そこでルイとナポレオンのわだかまりが完全に解消されたと思います。そもそもルイがなぜナポレオンにキレたかというと民衆が等しくあるために戦ってくれていたと思っていたのに自分のまわりの人間すべてを利用して皇帝になりあがったとルイが思ったからですよね。ここでカントの提唱する倫理学における根本的な原理である言葉を紹介させてください。

「汝の人格や他のあらゆる人の人格の中にある人間性を、いつも同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱わないように行為せよ。」

これも山川の倫理用語集に書いてありましたほんとありがとう万能すぎ。カントの哲学ってなんかめっちゃ難しいんですけどこれは理解できました。この言葉は人格の尊重を説いたものなのですが多分ルイはナポレオンが皇帝に即位したときにこの言葉に反したと思ってキレたのかなぁと。でもロールヘンの手紙によってナポレオンは手段として人間を扱うと思っていたルイの考えは砕かれた。セントヘレナには民衆を手段や道具として扱うナポレオンは居らず、ルイが尊敬していたナポレオンが生きていた。

不幸も裏切りも幸福もすべて自分の人生だと受け入れ、「音楽は俺たちのものだ!」というルイの声は民衆だけにとどまらず神のいる天上界にも届くことでしょう。そもそも音楽は誰のもの?という問いもルイの前では野暮なことなのかもしれない。各々持っている音が自分の音楽でありそれはだれのものでもない。ただ、一人が音を鳴らしたときに共鳴した誰かがまた音を出しそれが重なり合って大きな音楽を生むことがあるならば。それが歴史上にある革命や戦争を巻き起こした原因なのかもしれない。けれどそれはトラブルしか起こさないわけではない。喜びを人々にもたらすこともある。

音楽がルイの人生や運命をつかさどったように私たちの中にも同じようなものがあるかもしれない。

ルイにとっての「音楽」が「人生」なのだとしたら。もしかしたら謎の女ちゃんもルイの「音楽」に近しい存在なのかもしれませんね!

そしてやっぱり「この世界に別れを告げる時間だ。」と言われて白いお衣装なのはメタ的な目線がないとは言えないですよね。この世界に別れを告げる時間は二つの意味でなんだろうなと。

そして望海さんの声で「アンコール!」があるのがほんとウエクミ憎い演出よな~!!!あるのとないのでは全く違う。それに「人生は幸せだった!」を聞けるのファンは歓喜に歌いながら成仏するじゃん。

「この世に別れを告げる時間」「人生は幸せだった!」というふたつのダブルミーニングを用意してくる久美子ほんと…憎いわ…ありがとう………この物語でルイが自分の人生をすべて肯定するのも泣けてくるしもう一つの意味でも泣ける……望海さんの宝塚での最後の役がルイでよかったと思わせてくれる。そんな愛おしく思える役作りをしてくれた望海さん。だいきほの最後を歓喜に彩ってくれた上田久美子先生には感謝しかない。だいきほの宝塚人生までも歓喜に歌わせてくれたfff。

ほらやっぱりfffって人生讃歌なのよ!

これほどまでの餞があるだろうか。いや、ない。って反語使いたくなるレベルに素晴らしかった。この公演に携わっていただいた方本当にありがとうございます。大好き。

 

ということで配信見てから考えたり思ったりしたことはいったんこれで区切ろうと思います。有難いことに劇場でも観ることができるのですっごく楽しみです。早いことにムラ楽から一か月経ちこれを書いているとき実は見た記憶がほぼなく、ルサンクの脚本を読みながら書いていました。脚本あるとやっぱり助かる。これから生で観たときどんな風に思うか、また違うことを思ったらこうして文章にしたいと思います。

え?ルサンクの脚本初めて読んだときに衝撃過ぎて声も出せなかったこと言っていい?いいんですか言っちゃって……

謎の女ちゃんがさ…「運命」になってからさ…役名がさ…

「運命の恋人」になってたの…

ゥワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!久美子それはヤバ(ここで手記は途絶えている)

誰にも届かないで欲しい望海風斗さんへの重めな気持ち

そろそろ落ち着いてきたと思う。のでぼちぼち望海さんとか雪組への思いを書き留めておこうと思います。

一番最初に思うのは出会えてよかった。だいきほを知らない私がいる平行世界がきっと存在するだろう。けどそこにいる私より今文字を打っている私の方が絶対に幸せだ。人生は幸せだった。まだ終わらないけれど。

今思うと青春を共にしてきた存在だった。思春期の間にあの非日常にどれだけ助けられたか。あの時は本当に生きる目的そのものだった。もちろん今もそうだし助けられている。

宝塚を、望海さんを、知らなかったら

世界に琥珀色の雨が降る場所があるなんて知らなかった。

マクシミリアン・ロベスピエールなんてただ教科書に載ってた革命家の1人だった。

タンゴの情熱、オペラ座の怪人が抱えている闇と光、吉村貫一郎という隊士の人情と義、過去をすべて背負って一人生きていく男の背中。全部望海さんが教えてくれたこと。望海さんを知ってたから全部私の中にあるんだよ!

今回のfffもすごく今の私に刺さった。「不幸」を「運命」として受け入れる。セラヴィだね。そして今を生きる人への盛大なエールだと思う。SNSって人の幸せしか見えなかったり隣の芝は青く見えるあの現象が起こることが日常茶飯事でずっと見ていると世界で不幸なのは自分だけじゃないかと思うことも日常茶飯事だったりする。特に今、私はずーっと家に引きこもって友だちとほぼ会ってないけれどインスタを見れば同年代の子がディズニーに行ってたり飲みしてたりなんだか私が馬鹿みたいだなって思うこといっぱいあった。今まではそんなことないよ!他の人も苦しんでたりするんだよ!っていうのが多かったけれど自分の「不幸」さえも「運命」なのだと、そしてそれを愛するという難しいけれど達観した作品の目に大きなヴェールですっぽりと包んでもらったような救いがあった。きっと悲しみや苦しみの果てにたどり着いた時運命を愛せるのだろう。

 

そして楽の日の夜、私は大泣きした。やっぱり悲しくて。何も出来なくて、でもどうにかしたくて音楽にすがりついた。状況は違えどベートーヴェンもこんな感じだったのかななんて頭の片隅で思ったりした。

「泣かないでくれ、ダーリン」という歌詞にやられた。ノックアウトだ。瞬発的に挨拶で涙ぐんで声を詰まらせた望海さんを思い出した。癒してもらいたくて聴いてた曲に刺されるとは。察しがいい方はキリンジの「エイリアンズ」だと気づいただろう。そう、ダーリンなのだ。私が好きなふたりは私にとってダーリンなのだ。もちろんリアコ、ガチ恋、同担拒否でもなんでもない。ただただ愛しいのだ。ただただだいきほが私にとって愛しい人なのだ。望海さんの涙は美しい。最後の大階段を降りてきてあの場でぽろりと涙が零れたら一生忘れない瞬間になるだろう。人生で何回も反芻するだろう。けれど望海さんはあの場面において組をたばねるトップスターとして存在することを選んだから涙を流さず気丈に振る舞い、あの場が必要以上に暗くなることを望まなかったのではないだろうか。全部私の推測にしか過ぎないけれど。

「泣かないでくれ」。たくさんのニュアンスを含む言葉だけれど私は望海さんに真彩ちゃんに退団者の方々に雪組生に泣いてもいい泣かないでくれを言いたい。

まるで天上にいるような、違う星の人のようなタカラジェンヌ。他界隈から見たら「なんかすごいよね、宝塚ファンって」と言われる私たち。異星人なんだと思う。「そうさ 僕らはエイリアンズ」なんだと思う。望海さんが「皆さんに会いたいです」とおっしゃった時私たちがいる星とタカラジェンヌがいる場所とでピピピと周波数が合った。一瞬でも交わった。そう思った。僻地に魔法がかかった瞬間だった。

 

この光景が映写機で映されているならばもうフィルムが終わる頃なのだろう。譜面で言うならばコーダだろう。でも最後の音が鳴って残響が空間を少しでも震わせているならば、その響きが震え落とすときめきやキラキラを呼吸と共に吸い込みたい。最後の最後まで大好きなふたりをどの感覚器官にも焼き付けて一生消えない痕を作ることが目標。重たいよね。知ってる。

知ってるよ〜!!!!!!!!!(こんなクソデカ感情持ち拗らせオタクになりたくなかったオタクの絵文字)

このままだと東京宝塚劇場に絶対行けない理由

※楽しい内容ではございません そして愚痴吐きです ご注意を

東京宝塚劇場に行けていない。劇場に行けてない。

今年の2月に行ったのが最後になります。今年その1回しか行けてないの!他の人はありえねぇ思うかもしれないし実際に私もありえねぇ思ってるから!!

最後に行ったのは2月のワンス東京初日。本当は3月にも行ける予定があったのですが家族にコロナが〜!と拒否、断固拒否、拒絶をされまして行けなかったです!

泣いた

泣いた

泣いた

泣いた泣いた

泣いた泣いた泣いた

「今年一番泣いたことなんですか?」

「ワンス行くなって言われたことです。」

そのくらいワンワン泣きましたわ。ワンスだけに!!とかいうジョークを言えるのは今だけや。

ワンス東京初日の前に大好きな方の退団発表があってそれからの観劇は1回1回大切にしようと心に決めていました。きっと多くは観れないから。学生でしかも地方にいるのできっと金銭的にも行くことが出来る回数は片手で十分数えられる回数なので、尚更もう多くはない大好きな方が宝塚の舞台にいる姿を大切に目に焼き付けようとしていたところだったのです。

そこに家族から行くなと言われて相当しんどかったのを覚えています。行ったらお前は反逆者だと言わんばかりの圧で押し殺され当時実家暮らしをしている19だった私に「私が劇場に行く」ということが家族を崩壊させかねないと思わせるほどでした。それほど散々言われました。その後仕事から帰ってきた母に「行ったと思ってた。」なんて言われた時は正直なんにも言葉が出なかった。行くな言ったのそっちでしょう。

何が一番悔しかったって

「こんな時に観劇に行くファンもおかしい。こんな時に公演をする宝塚もおかしい。」

って言われたこと。本当に悔しかった。

私の知っている宝塚はいつだって私たちが楽しめるように誠心誠意仕事をしてくれているって知っているから。だからちゃんと劇場内の感染対策も徹底しているって分かっているから。

私の知っているファンの方は宝塚が好きならみんな仲間だと横の繋がりが強くてこんな時こそいつも以上に団結できる人たちだと知っているから。

そんな頑張ってくれている人たちがいることは今はSNSを通していつだって知ることができる。そんな画面の向こうの現実で頑張ってくれている人たちを否定されたようで悲しくて悔しくてたまらなかった。でもこの沢山の人の頑張りが積もり積もって山になったらまた私も劇場に行ける日が来ると思い、もう泣くのはやめました。

けれど最近とある方の記事を読んで知ったのは「幕間とかでロビーで大声で喋っている方がいる」

ということ。私は現場には行けてないからきっとこれは一部の方で多くの人は感染対策を念頭に置いていらっしゃると信じたい。

でもこれだけは忘れないでほしいです。

貴方がたの観劇は多くの屍の上で成り立っている。喉から手が出るほど欲しいチケットを我慢している方がいる。

我慢は美徳だとは思いません。むしろ底なし沼です。ずぶずぶとマイナスの感情という名の泥が体に侵入してそのうち息が出来なくなる。

だからこそ早く救いが欲しい。劇場は安全だという救いが。それは画面越しにもいつか伝わってくるから。そうすればいつかまた行けると希望を持てるから。そうじゃないと希望をどんどん失っていく。観劇に行きたい気持ちを持っていると社会に殺されるという感覚が一緒に付きまとう。こんなにも好きなものを後ろめたく思わないといけないだなんて。耐えられない。これが私が劇場に行けない理由。もちろんこれには日々増えていく感染者数も関係ある。ただ、感染者数が増えても減っても客席が劇団側の感染対策を踏みにじることをしていたらとても嫌な気持ちになると思うし怖くて行けない。そして滅べ。田舎の村八分

毎日入るニュース速報で増える感染者数を見ながらこの先の観劇の不安も増えていく日々だと思います。お先は真っ暗ですがひとつでも光が灯ればちょっとだけ安心。その光がどんどん増えていきますように。宝塚を好きな人たちは光を灯すすべを知っているはず。1つしか光を生み出せなくてもあるとのないのでは全く違うものです。

この記事を公開するかすごく悩んでいます。もし公開されてお気持ちが悪くなった方がいたら申し訳ないです。最悪消します。でも声をあげないと気づかれないとちょっと魔が差したのを許してほしい。ごめんなさい。

また楽しい観劇ライフが戻ってくることを祈っております。早く観劇したい!

 

って思ってたんだけどさ 東京本日900人くらい出て変異種も確認されたんだって????

地方民は絶望やんけ!!!!!!!!!

って夜の校舎 窓ガラス壊してまわりました 

はぁ

呪う

真彩希帆さんのCD聴いたら耳が溶けてQOL爆上がり案件

どうも〜!まあやちゃんのCDを聴いたら耳が溶けた者です!

皆さん手に入れましたでしょうか

真彩希帆さんの「My Everlasting Dream」

結論言うとゴミみたいなQOLが上がった 落ち込むことあっても「まぁね!私は!真彩希帆さんのCDとよろしくやってる身なので!」ってせわしない下界を見ながら優雅にティータイムが出来ます

そしてこのCDにより人生で聴く音全部まあやちゃんの声で再生してほしいなぁと思うようになった そしたら日々幸福に過ごせる 早くまあやちゃんSEを世の中は導入しろ(???)

NZMの円盤は手に入れられてなくてハンカチギリィですけど手に入れられても開けられなさそうなのでとりあえずまあやちゃんの声を脳内ハードディスクに焼き付けようと思います 幸福な烙印です

いやぁもう全部素晴らしいんですよ

「清く正しく美しく」とかちゃんとフルで聴いたの初めてな気がする いや分かんない まあやちゃんの声だからお初にお目にかかります的に聞こえるのかも いやぁむっずかしいなこの曲!?ってのがファーストインパクトになりましたがサラリと歌いこなしてしまう真彩さんのポテンシャルの高さったらね…

うたかたの恋」は古き良き宝塚の歌詞の日本語の美しさが手に取るように分かるなぁと…さすが真彩さんだ…ッ 好き…ッ てかこの曲の日本語全て美しくないですか…?「あぶくに浮かんだ男と女が恋をした」って思い浮かぶの天才的…

ってぜーんぶお話したいけどながーくなっちゃうので好きな4曲ピックアップしてまあやちゃんのCDのダイマします!!!!!!!4649

 

これは外せん「私だけに」

私の理想にいっちゃん近くて真彩希帆太陽神一生崇め奉りますという誓いを立てたのですけど!!!!!!!!

最初からもう既にシシィで…感動…"まあやちゃんのシシィ"だ…って思いました 勝手にこの曲の一番はシシィがシシィの理想を思い浮かべて手を伸ばしている最中で でもそれはまだ夢のような歌い方をしてほしくて そこからの二番がその理想が皇后という立場ならつかみ取れるという確信を持って 自分の手で自分の力で掴むんだ 誰の手助けもいらないという雰囲気を持ってしてそして最後には覚悟と決心をむき出しに歌っていただきたいというこだわりがありましてまあやちゃんはドンピシャりだったのでさらに信仰心が高まりました… あと最後の「私に」は高音を魅せる場面だけじゃないってところがまあやちゃんの歌い方100点中500不可思議って感じですね ラヴ 最後の一言までこれはシシィの曲だと思って歌ってくれているそれがすっごく伝わってきて…

好き(これしか言えん!)

 

いや〜奥様!理不尽な世の中には真彩希帆さんの「顎で受けなさい」ですよ!これさえあればどんな目にあおうとも全部アゴで受け止めてニヤリとしてスマイルなんですよ!(???)

マジで人生の応援歌すぎません?

真彩希帆さんの「顎で受けなさい」、人生の応援歌すぎません??

マジで「竹書房ゥァア゛ーッ!!!!」(ポプテピピック)なことがあっても「アゴで受けとめてニヤリとしてスマイルだな…」と寛容な心を持つことが出来るのでとても現代社会において必要なスキルを得るが出来きます ご購入を勧めます

たまには「竹書房ゥァア゛ーッ!!!!」(ポプテピピック)って殴ることも必要ですがだいたいの場合出来ないので心の中で中指立てながらアゴで受け止めてニガ虫つぶしてスマ〜イル!!!!!!!!(治安悪)(注意:まあやちゃんはアイスランド並の治安の良さです)

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私が一番このCDで推したいのは「セ・マニフィーク」からの「My Guardian Angle(私の守護天使)」です とりあえず心が疲れた時はこれ摂取すれば必須アミノ酸取れるから!!!きっと鉄分も取れる!!!!カルシウムも!!!!

「真彩希帆さんの歌を聴いていたら寿命が伸びました!」(関東在住、20代学生)

「真彩希帆さんの声は栄養剤のようです!欠かせません!」(関東在住、20代学生)

ほら、どこぞの学生さんも言っておる ちなみにワイも同じようなこと言っておる エビデンスとかは聞くな!!!!ワイは学者じゃないです!!!!!!でもきっと効いてるんだからエビデンスあるんや!!!!!!(???)

ほらここに好転作用で情緒がおかしくなった人間がおるじゃろ?

ほら、結果的にデトックス出来てるじゃろ?

ほら、言わずとしてもわかるじゃろ?

あえて言うと

全人類、買え

そういうことです

クリスマスプレゼント、お歳暮悩んだら

真彩希帆さんの「My Everlasting Dream」

そういうことです

圧倒的に遅すぎた雪組ワンス感想考察詰め合わせその4(クソデカ感情拗らせ回)

どうもまことちゃんです!

いや〜今年もあと少しで終わってしまいますね!!!! 世間の皆様が鬼滅の刃を見ている間私はずっとワンスを見ていたような気がします…それくらいワンス見たな…なのに遅筆すぎて一幕書き終わるのに何ヶ月かかってるんや…!分かっとんのか!?いや、逆に世間が早すぎるのでは…!?(精神と時の部屋)

 

↓前回の感想考察

圧倒的に遅すぎたワンス感想考察詰め合わせその3 - 真夜中オタク戦争

 

今回はヌードルスとデボラの最後の絡みのみ そして多方面(特に望海風斗さん)へのクソデカ拗らせファンレター状態になると思われます ほぼワンシーンのことなのにめちゃ長いですすまん! それくらい一幕最後大好きなのよ……… 

 

それじゃあ始まり〜!クソデカ感情満載だけどついてきてほしいな〜ッ!!

 

ヌードルスがデボラのためにレストラン貸し切りにするというこれまでないくらいの張り切りを見せております ここのデボラのお衣装ほんと皇后ですよねぇ…これはヌードルスも期待しちゃうわ(??)

そしてお食事も終わりあのクソデカ感情部屋ですねぇ…望海風斗さんまぁたおんなじ過ちを繰り返して…って思いますがつらつらと感想やら述べていきたいと思います

このバラを敷き詰めた部屋でヌードルスは本当にロマンチストだなぁと思いました 小さなころの約束をちゃんと覚えていて実現させちゃうなんて 

これがもし1000本だったら「一万年の愛」という意味になるらしいです この説推してます

 

「昔 約束しただろう バラの花びら敷き詰めた部屋に案内することを」

「覚えているわ あの時を 小さな花束手渡して 大きな未来約束した」

「今ここに」

「今ここに」

前々回になりますかね ヌードルスとデボラすれ違っちゃってるんだよなぁ~!!!!って言ったと思うんですがそのすれ違いがここで大きな差を生んでしまっている 

ヌードルスはずっとデボラを愛している だからその証にこうして約束したバラの花の部屋を用意した 幼い時デボラに渡した小さな赤いバラの花束は愛の約束だった

デボラは幼いころに約束したのはお互いの成功 お互いに大きな舞台で活躍して切磋琢磨しあおう あの時手渡された小さな赤いバラの花束はきっとデボラにとっては「愛の約束」というより「おめでとう」っていうものだったのかなぁ

そして王冠まで用意してしまうという皇后にさせる準備の徹底ぶり…

「どんなお妃よりもお前にふさわしい だがその輝きもお前には及ばない デボラ 俺はまだ皇帝じゃない デボラ だがお前を皇后にして見せる 今に必ず お前を」

違うの!!!!!!!!!違うのですよ!!!!!!

デボラは自分の力で皇后になりたいんだよ…!!!!!誰かにしてもらいたいわけじゃない 今まで努力してきた自分自身で頂点に上りたいんだよ…!!!!!!それをヌードルスが分かっていなかったということもデボラにとってショックなのだろうな…

ヌードルスには酷かもしれないけどデボラはきっとバラの部屋や王冠を用意しなくても愛してくれたよ 今までデボラのお願いをことあるごとに言い訳つけてかわして自分だけの一方通行に気づかなかったヌードルス なんか良くも悪くも青春ですよね 無鉄砲で 自分の愛情に気づいてほしくて必死で でもデボラは8年間以上の歳月ショービジネスという業界にいたから心が大人だった デボラはきっと高価なものを用意してもらうことは望んでいなくてそんなことはもうこの業界にいる間に何回もしてもらっていてそれが本当の愛情を証明することではないと気づいていたんだと思います ヌードルスに対して本当に様々なことを想っていたからこそ今までされてきたであろう高価なもので愛を示されることをヌードルスにまでされてしまうのはデボラの自分の中に気づかないように秘めていた不信感をとうとう認めなくてはならなくなった瞬間に感じますね デボラは自分の中身を知ってもらって心や行動で示してもらいたかっただけなんだろうなぁと…はぁしんど…すれ違いしんど…

マックスたちと同じ道を歩まないでと何回も言っても前科があるんだ、資金を貯めたら、と言われその挙句「俺たちはローワーイーストサイドの出なんだ」と言われたらもう何も通じないんだと思われても仕方ないと思っちゃう デボラはローワーイーストサイドの出でも差別も何も言われないよう誰も見ていないところでも努力という二文字では片づけられないほど血と汗と涙ながしていたのに…幼いころの自分を知っている初恋の相手に「ローワーイーストサイドの出なんだ」って多分一番言われたくなかったよ 一番言われたくない人に一番言われたくないことを言われた その時心に打たれた杭の深さたるや 

きっとその後に言った「実は来週ハリウッドに立つことになったの」は最後のデボラのやさしさが与えるローワーイーストサイドの出でもまっとうな道を歩めるという道しるべ、そしてここでハリウッド行きを喜んでくれたらという一縷の望みにかけた発言だったと思います 

才能と恋愛どちらを取るかという究極の選択 お互いに違う選択をしてヌードルスは自分の選択を相手に強要してしまった もうパズルのピースは全部抜け落ちてしまった 修復は不可能 デボラはもう自分が恋していたころのヌードルスはいないと分かってしまった 去り際の「分かって」にすべてが詰め込まれている

そこからの「愛は枯れない」

これはヌードルスからしたら自らの恋の終焉を告げる曲になりますね 

突然ですがこの「愛は枯れない」って曲めちゃくちゃすごくないですか?

正直今回の本編ここからと言ってもいいような感じですよ!!これが書きたくてこの曲を聴いた時思い浮かんだ感想とかいろいろ書き溜めていたのですよ!!!!この「愛は枯れない」の魅力やら感じたことをビシバシとガンガン書いていきたいのですがまず小池修一郎作品においてこの一幕のエンディング…異例ですよね…というか宝塚の男役という枠組みでも異例な状況だと思います ヒロインに振られ逃げられ、おそらく永遠ともいえる別れを物語の終わりではなく一幕最後という物語の中盤でしたのですから…

そしてこんなにも盛大に振られる男役は短い宝塚ファン歴ですが観たことない 

これは完全に自論ですがこの場面は

小池修一郎氏が作り上げた男役望海風斗への特大級のラブレター」です あんなにみじめな振られ方 常に愛を生む芝居をする宝塚では正直ギャンブルですよ 今回のは確実にいけるって自信が無いと踏み込めない領域 宝塚の男役はどうしてもどこか非現実でそここそが我々を引き付ける魅力なのですがこのシーンはフィクションでありフィクションであってはいけない 豪華絢爛で夢のような舞台セットの中にノンフィクションでリアリティのある人間がいるからこそその役が訴えかける心情が我々の心をつかんで離さない そんな構図になっているのが素晴らしすぎる ぴったり当てはまる男役じゃないとただ可哀そうな場面になってしまう でもこの公演では客席をゾクゾクするほどに震わせ魅了できる場面になっている これは小池修一郎氏が望海風斗ならできると確信を持ったからこそ生まれた場面だと私は思います 

そんでもって望海風斗さんすげぇ…すげぇよ…ってべた褒めタイムなるんですけどこの一幕最後って血のにじむような、時には地べた這いつくばって泥水すするようなとんでもない努力を成しえて、男役という偶像にすべてをささげたからこそできる場面だと思っているのですが皆様どうでしょうか?!!?!?!?!??!望海さんの地に足ついた演技だからこそできるじゃんって…思うんです…

それになにあの魂の絶唱 歌に魂をのせてなおかつ燃やしているという なにをどうしたらそんなことができるようになるの…?歌っているんじゃないもの…歌が人間の叫びになっているんだもの…これはミュージカルって突然歌いだすでしょ ありえないじゃんって人に聴かせたくなるし見せたくなるよね…ミュージカルにおける歌は「登場人物の心情風景の代弁」だし「セリフの延長線上にあるもの」だと思っているのですがこんなにも歌であり歌じゃないと言いますか…歌なんだけど歌として聴くんじゃなくて感情がとめどなく溢れだしたむき出しの叫びみたいな…(マジで伝われ)こんなのってありますか…?ほんと好きだわ…こんな役者しらねぇよ…末恐ろしいよ…こんなに感情をバチバチにむき出しに歌うのにトゲトゲして痛いなんてことはない そして神滑舌のおかげで変に突っかかることなくダイレクトに脳に響く 癖がないのに唯一無二の歌唱 これを愛さずして何を愛すると そこまで思わされますよ こんなにも役なのにこんなにも望海風斗としても存在できているのも神業と言わずして何と言ったらいいんですか これはほかの方にちょっと言ったことなのですが望海さんはカメレオン俳優であると けれど世間が言う何にでも変われるという意味のカメレオンではなくその色には染まるけれどカメレオンという形は残っているという意味で 望海さんはその役の人生に染まれるけれど望海風斗という形は決して失わない

役者という枠組みの髄にいる方 この方は根っからの役者だと感じます 持ち前の歌唱力からショースターとも言われますが望海さんの真の魅力は役者であるときに宿ると私は思います

あくまでも自論ですご容赦ください!!!!!!

でも望海さんって楽器でもあるんですよねぇ…とか望海さんを褒めていたらきりがないんですけど…

はぁ~めちゃめちゃ望海さんのこと褒めちゃった まぁこれもまた望海さんが人生で出会った役者の中で一番好きだからなんですけど!!!!!!!(クソデカ感情)

そんでまた歌詞なんですけど「陽が沈み 心が闇に溶ける時 この俺も愛のない世界に 深く沈んでゆく」ってプロローグの「摩天楼のジャングル」での「非情の掟 背負いつつ」とか「俺たちは影を消す 夜明け前の摩天楼に」のことを言っているのか…?とか勝手にめちゃ深読みしてしまった…いや「陽が沈み」って青春の終焉も思わせるけどさ…プロローグではギャングの家業と言いますか…やってること歌っていることすべてかっこいいんですよね…何となくギャングとしての誇りを持っている時期なのかなと…プロローグのあのオープニング感のある演出がされている場面を本編に組み込んでしまうとおかしいかもしれないですがあれは確かにヌードルスが「ギャングスター」だった時期なんですよ…それが「愛は枯れない」になると

ギャングが姿をひそめて仕事をする闇夜を夜明け前の摩天楼を「愛のない世界」と表現するヌードルスの心情の変化が本ッ当に鳥肌…「非情の掟」も「愛のない世界」を構成する大きな1つになるし…何となくここでデボラへの恋も終わり、ギャングとしての誇りも燃え尽き寸前になってしまったのかな…完全に私の想像と言いますか予想みたいなものなんですけど…この一幕最後からデイヴィット・ヌードルス・アーロンソンという存在の死が徐々に始まると思っているのですがヌードルスはギャングで社会的に言ったら悪なんですけど悪になりきれないところがまた人間らしいな…それゆえヌードルスという存在の死が待っているのだろうな

「バラの香りに包まれて 俺の愛が散って行く その花びらは知っている」

これ音源聴いてて思ったんですけど「散って行く」と「知っている」って発音似てるなぁ…きっと韻ってやつなんだろうけど「俺の愛が散って行く その花びらは散っている」だったら…深読みしすぎやろ!!!!!って怒られそうですがこれが私のさがだから許して…散っているにしちゃうとそのあとの「愛は枯れないことを」と繋がらないのは百も承知なのですがこの歌詞だとヌードルスの心の中にも大切な一輪のバラがあってその花びらがはらはらと落ちているのを強調しているように聞こえてまた趣深しですね…

もちろん後ろのバラたちはヌードルスの愛の残骸のメタファー的存在だとは思うのですが心の中に大切な一輪のバラがあってくれ というか私があるって思うなら私の中ではあるんや!!!!!という精神でやらせていただいてます(????)

そして超絶fffで歌い上げた後「デボラ…」ですよ…

愛憎込められているような言い方でハァァ…!なりますわ 恋は終わったが愛は尽きることないのがひしひしと感じる

音楽の盛り上がり方も序盤はストリングスから始まる切ない旋律ですが終盤になればなるほど音量は増し、武骨で男くさいサウンドに変化していく様はデボラへの愛は失われていないのをここでも表しているように感じます

この場面は男役として生涯を歩んできた中でも特別な人にしかできないなぁと思わされます だってあんなにバラの花を背負って一人の女性への愛の叫びを魂で表現しなくてはならないのだもの

そしてバラを投げたァァァァァァ!!!!!!!

やっとバラを投げるところまで書けた…ッ

バラを投げたのはアンダルシアぶりですかね…?あの時は一本だったけど今回はごっそり掴んで投げてねぇ…成長したねぇ…(????)

ここまで「愛は枯れない」についていろいろ言いましたが一言で言えと言われたら

天ッ才

っていうしかないくらい天才 すべてが天ッ才 多分まだ言えてないことがあるくらいいろんなものが込められている けどそれに気づけていないしもっと的確な表現があるはずなのにそこにたどり着けていないのが悔しい 悔しいですッ!!!!

もう一回言っておく

天ッ才

何回言っても足りん気がしてきたよ!!!!!キリないからこれくらいにしておくけれども!!!!!

ということで

わたくし、まことちゃんのワンスの感想考察詰め合わせやっとこさ一幕最後までたどり着いたのですが二幕書けるか正直わかんない…これをあげたら燃え尽きてしまいそうで…ツイッターでは元気にしてるだろうけどさ…書けたらいいな…(遠い目)

けどちゃんとここまで書けてよかった…一区切りついた気がする…

でもまことちゃん

枯れない~~~~!!!!!!!!!(きっと)

圧倒的に遅すぎたワンス感想考察詰め合わせその3

前回のあらすじ!!!!

ヌードルス「俺はそこら辺の石!!!!!!!!!もう嫌だ!!!!!!でもデボラを俺のものにして見せる!!!!!!!!!」

って感じだったと思います(超絶雑あらすじ)ヌードルス頑張って!応援してる!

どうも まことちゃんです!最近乾燥しているせいか寝起きで鼻血が出ました

↓ 前回の感想考察

遅すぎたワンス感想考察その2/雪組公演ONCE UPON A TIME IN AMERICA - 真夜中オタク戦争

ではさっそく遅れに遅れている感想考察の続きに入りたい だってアナスタシア始まっちゃったやん ヤバい とんでもなくヤバい(これを書き始めた時は始まっちゃったなのに書き終わった時にはもうムラ終わってるというアレ 時間の流れは残酷)

けど、前回これ言い忘れたというか書いてからアーーーーーーーッ!!!!って気づいてことがあるので言わせて下さい 

何となくもうみんなワンスのこと知ってると思うから言うけどヌードルスさん刑務所で罪と罰読んだって言ってたじゃないですか 椎名林檎の方は歌だから多分ドストエフスキーの方だと思うんですけど 

じゃあ罪と罰読みたいなぁ 本屋行く めちゃ分厚い しかも上下巻とか聞いてねぇ 挫折 ということをやってきました 罪と罰の内容分かっておきたかったぴえん…って思って漫画でわかる「罪と罰」とかそういうやつの購入も考えたんですけど私が最後に行きついたのは

中田敦彦YouTube大学

とうとう奥の手を使ってしまった感 オリラジの中田敦彦さんのYouTubeチャンネルですね YouTube大学に有名な文学作品のあらすじとか重要なところをギュギュっと濃縮して教えてくれるエクストリーム文学というコーナーがありまして そこで気になっているものを取り上げてたりすると「ワイは自分で完読するまで見ないぞ!!!」という頑固おやじ発動してたんですけど都合よく「罪と罰」の動画があったので今回は頼らざるを得なかった 見事なまでにあっちゃんが一時間ほどで「罪と罰」の重要なところをかいつまんで説明してくれました ありがとうあっちゃん あっちゃんかっこい〜!

ということで「罪と罰」の概要を何となく把握できたまことちゃん 改めてプログラムに乗っている歌詞を見てみると叫ばずにはいられない一節がありまして…それが「真夜中にひとり」の中にあるんですけど…

「決して消えぬ罪の跡を持つ」

もう見た瞬間

ゥワーーーーーッ!!!

ってなりました 

罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフは殺人を犯してしまうんです 普段はまじめなラスコーリニコフが殺人という行動をした後、とても罪の意識にさいなまれるのです 警察の捜査が難航していて自分を捕まえに来ない時も自分が犯した罪の跡に苦しめられノイローゼみたいになっちゃうんです 人間が作った罰からは一時的に逃れられても罪の跡は消えずに自分を苦しめる この歌詞絶対「罪と罰」から影響されて出てきたじゃん…はぁ…って頭抱えましたよね …だから楽しいのよ 考察は!!!!!

ちゃんと「罪と罰」を読んだわけではないので細かいところ言及されてしまうとごめんなさいってなってしまうんですがちょっとヌードルスラスコーリニコフが重なる部分があったり、「罪と罰」の中のヒロイン的人物とラスコーリニコフとの絡みを見るとこれはヌードルスがデボラにしてほしかったことだったりするのかなと思う部分があるので時間がある方は原作を!ちょっと時間ない方は漫画を!ぜんっぜん時間ないけどちょっぱやで「罪と罰」知りたい!って方はYouTube大学の動画を見ることをおすすめします!!一応言っておきますがYouTube大学の回し者ではございません!!!!!

 

めちゃ話してしまったのでここからは前回の続きに移りたいと思います!あと少しで初日から一年経ってしまうので!!!(時の流れ速すぎでは?そして私書くの遅すぎでは?)

 本編に移りますとマックス率いるアポカリプスメンバーがヌードルスにめちゃくちゃかっこよく経歴+業務内容説明ソングを歌っています アポカリプスの三騎士すげぇんだぞ〜アポカリプスやっと4人だよ〜ソングですね(クソ雑説明)

この場面

死ぬほどスーツが似合ってる

コスチュームよりスーツ派の私にとって天国のような公演ですがみんなかっこよすぎんよ…語彙がぶっ飛ぶね…なにあのストライプのスーツのあやかぜさきなさん…スタイリッシュ、スマート、ほかに何か語彙ないですか、語彙不足なので配給を…お恵みを…

「あぁ、あれ!自分のブランドで自分にぴったり似合うように作ってるんですよ(笑)」とか言ってそうだもん!!!実質実際そうなんですけど!!!(お衣装部さん毎公演ありがとうございます何回土下座しても足りん)咲ちゃんは「はぁ…これは惚れてまうわ…」って思うけどそれ毎公演あるし何なら「惚れてまう」レベルを毎回上げてくるからすごい あとあがたくん…拳銃くるくるさせんのは厨二心くすぐられちゃうから…軽率にやられると左手が疼く…ッとかなっちゃうから…

 

そしてここで「デトrrrrrイトの」で客席の心にちゃんと爪痕を残していくジョーこと叶ゆうり氏ほんと好き 叶ゆうり氏が舞台に出てくると「来たっ!!」ってワクワクする そして持ち前の濃いオーラを見せてくれると「これこれ!!」って楽しくなっちゃうんだからもう中毒ですよね 

雪組の楽しみの中に「叶ゆうりオーラを摂取する」 あると思います

 

宝石店襲撃のシーンでヌードルスさんが「殴って!」って言われた後なんで!?みたいなジェスチャーするのがすこです 

その後なんと叶ゆうり氏殺されてしまうという…初見の時えっえ〜!早くないですか!?ってなって驚きだったのですがでもあのジョーというお役は一瞬で爪痕を残すことが出来る叶ゆうり氏にしか出来ないな…としみじみ感じますね…

そして仲間たちがサラリと人を殺す場面を目にして「俺は殺しで8年無駄にした 繰り返したくはない」と言うヌードルスにギャングの非情というものを見せつけるマックス…あの幼い頃とは何もかも違うんだと言っているようで…ヌードルスが人を刺し警官に連れて行かれ、その時心のどこかが変わってしまった幼きマックスの顔がなんだか思い浮かびましたね…あの時のマックスの表情の変貌忘れられないな… 幼き頃一緒に悪さをして怒られたり悪態をつかれることもあったけど自分たちの世界は平和で楽しくて笑いあっていた そんな仲間たちが自分が8年苦しめられた罪を冒すことに対して当たり前のような面持ちでいるということも悪い驚きなんだろうなと思いますね あの時、一緒に仕事(と言っても子供だからまともに扱って貰えないけど)をして少ない報酬でも喜びあって…経済的に貧しいけど環境はいつも発見やスリルに満ちていて心が豊かな時期は過ぎてしまったんだと体感させられる場面ですよね… 経済的には正直貧しいけど心は豊かだったという時代は誰もが少しでも自分の人生で思い当たるところがあるんじゃないかと常々感じます 

そのあとのマックスの「一度汚した手は二度と綺麗にはならない だったら徹底的して汚すことだな」はこれからのヌードルスの葛藤の一欠片を形成するセリフじゃないかな…

 

キャロルの「私が惚れた男」

まぁ〜歌詞を見ればマックスへの当てつけのように見えちゃうけどこれからの展開を知っている身としては

えっ?予言ですか?

って思うよね〜!!!!!

「サツにバレたら たちまち手錠をかけられる でもその方がまだマシ 他のギャングにバレたら 地の果てまで追いかけられ その場でハチの巣に」

ん〜〜意味深!!!!!!!

これからの展開を思うととても意味深ですね!!!!!!「はっ…!」て驚く仕草をするキャロルたんかわいい

「ある日棺に縋り付き 泣く日が来るかも でも後悔はしない たとえ暗い未来でも惚れた男と一緒なら何にも怖くない」って歌詞をキャロルに歌わせるの鬼畜の所業だなぁと思いますね だって待っているのは歌ったこと何もできない未来なんだもの 

 

ここでとうとう登場するのがジミーさん まともそうに見えて怖い奴ですね 公演中皆様も言っていましたがどこまでが本当でどこまでが嘘なのか見えない人物がこのお役だと思います いい奴っぽいけどなんとなく正体にもやがかかっていてはっきりと見えない でもいい奴だろうからって信じちゃって知らんうちに手の内に丸め込まれるパターンですわ…このジミーのモデルになっていると言われているジミー・ホッファという人物についてちょっとだけ調べてみたのですが真にアメリカを暗躍していたのはジミーなのではないかなとも感じましたねぇ…

ガチで学がないのでコックアイさんの「お前赤じゃねぇのか?」でアメリカには赤い州青い州があるということを知りました…赤い州共和党を支持する傾向が高くて、青い州民主党を支持する傾向が強い州らしく…ヌードルスたちがいるニューヨークは「赤じゃねぇのか?」というセリフから察すると青い州のようですね 特にヌードルスたちはユダヤ系の移民だから民主党を支持する人間だろうなぁ これを知ったときにはアメリカで選挙やってまして だから青と赤で投票率のパーセンテージとか出してたんだなぁ!めちゃタイムリーな時期に知れたわ!!って思ったんですけどこれ書いてるの12月も後半に差し掛かってきたところなので正直言って急いでおります!

ヌードルスって切れ者って意味だけどロマンチストゆえに頭が切れるところがあまり見えないと感じていたのですがここでジミーに「どっちがアウトローかわからないな」と言ったりジミーが襲撃に来るマフィアをフランキー一家だと言った時にまとう雰囲気が変わるの相手の腹を探っている感じがして好きです 鋭い でもジミーの返しもなかなか巧妙 「あんたらは新興勢力でそれまでの連中がやらなかったことに手を出して成功している」「書記係がローワーイーストサイド出身でガキのくせに仲間の敵をとって刑務所に行ったやつがいたと聞いた ユダヤ系は情に厚い」もしすべて口から出まかせだったら?と考えたら恐ろしいですね 唯一物語の結末を知っていて、操作もできるようなキャラクターに感じてしまいます 今まで出てきたキャラクターには大体人生のバックグラウンドが見えるのですがジミーには見えない このような観ている側が疑心暗鬼になるようなキャラクターがいるだけでストーリーの切れ味が違うなぁ 美味しい役ですなぁ…

「一人殺せば殺人犯だが大勢殺せば英雄になる」って罪と罰を読んだヌードルスさんが言っております 確かにそうですね 

しかしそれは天才にだけ言えることであって凡人や一番タチの悪い天才と勘違いしている凡人には適用されないのよ…中田敦彦YouTube大学で言ってた……(ありがとうYouTube大学)

 

そしてデボラに「話したいことがある」と言われて「海辺のレストランに行きたいと言っていたな…」とかめちゃすました感じで言ってますけど「よっしゃ食事の約束こぎつけられたぜ!」感だすヌードルス、ほんと幸せだねぇ…(遠い目)

 

ストライキの場面になるんですがやっぱり

こんなきれいなトラック運転手おるか?彩凪翔レベルの美貌を持つトラック運転者が…

と思うんですよ 顔きれいしゅごい 高速道路で渋滞にはまっても隣のトラックの運転手さんがこんな超絶美形だったら何時間でも拝ませてください 逆に渋滞にはまってくれてありがとう自分 そしてこんなお美しい方のが隣の車とか今年分の運つかっちゃったじゃん でも神様ありがとう世界ありがとうなりますよねすごくわかります でもそんでまぁ〜策士ですな スト破りの人間も丸め込んで仲間にしちゃったんですから この作品の中で一番頭が切れてるよジミーさん 経営者対自分たちという図を作り上げてどんどん自分が有利になるようにしているよな…?自分がぼろを出さないようにちゃんと計画もされてるし自分たちが官軍であるという認識をほかの人に共有させるのが上手い すげ~頭いい どうやら顔は善人のイケメンですが中身はどうやらちょっと怖い人かも…でもそんなギャップも良きかな…と観ている側としては思います 実際にいたらこの人怖ぇ~なってるわ だって怖いもん(語彙力)

 

ニックとデボラの絡み救いすぎる~!!!ニックマジでこの話の良心的存在…「ニック ご馳走して〜!!」って…私もニックにご馳走してもらいてぇ~!!!!!まぜろ!!!!!!きっとニックは家族や人間の温かさを知っていてほかの人間にもそれを教えてあげられるこの話では数少ない貴重な人材ですよ…デボラともずっと幼馴染のような関係でいてくれるのが有難いよなぁ デボラはこれからさらに孤高になっていくと思うけどニックとはずっと関係を紡いでくれているといいな…

 

ちょっと順序を変えてマックスとキャロルの場面ことを…この最後のヌードルスとデボラの絡みは一気に書きたいのでどうかご理解を…

キャロルたん健気でさぁ かわいいのよ 今のままで幸せよって… 

マックスさぁ…… 

キャロルの口から連邦準備銀行を襲撃するのはやめてっていわれてさぁ ちょっとカチンときたかもだけど手をあげるのはだめだよぉ マックスの身を案じて言ってるんだよぉ そもそも銀行襲撃するのもだめだよぉ(あたりまえ体操

頬をはたいてから口をふさぐようにキスするのはDV男のすることだよ!!!!キャロルたんの幸せが私たちの幸せだからね……………って思いながらみておりやんす 

そこに現れるジミーさん なんとなくここらへんからマックスはジミーを信用するようになるしジミーはマックスの手の内に入るように見せかけてこれから自分の立場を格下から同等、同等から格上に仕立て上げていくのかなぁ 恐ろしい男だわ マックスは感情的になりやすい人だからお金のやり取りや采配とか冷静な判断が必要になる部分の相談役的なポジションに介入していきそうだな 恐ろしい男だわ(2回目)

なんて言っていたら一幕もあとはヌードルスとデボラの絡みのみになりました!

一番書くの楽しみにしてたんですよ!!!

いやぁ あのシーンは見るたびに新しい感想が浮かんだりしてもう大変だったんですよ!!!!!(???)

次回もめちゃ長くなりそうで笑いながら血の涙を流しています どれくらいかかるだろう……………今の時点で2万字くらい書いてるらしいですよ もし飽きずに読んでくださってる方がいたらうれしいなぁくらいの長さですね……………

では次回!

ヌードルス、バラ投げるってよ」