どうもまことちゃんです!
いや〜今年もあと少しで終わってしまいますね!!!! 世間の皆様が鬼滅の刃を見ている間私はずっとワンスを見ていたような気がします…それくらいワンス見たな…なのに遅筆すぎて一幕書き終わるのに何ヶ月かかってるんや…!分かっとんのか!?いや、逆に世間が早すぎるのでは…!?(精神と時の部屋)
↓前回の感想考察
圧倒的に遅すぎたワンス感想考察詰め合わせその3 - 真夜中オタク戦争
今回はヌードルスとデボラの最後の絡みのみ そして多方面(特に望海風斗さん)へのクソデカ拗らせファンレター状態になると思われます ほぼワンシーンのことなのにめちゃ長いですすまん! それくらい一幕最後大好きなのよ………
それじゃあ始まり〜!クソデカ感情満載だけどついてきてほしいな〜ッ!!
ヌードルスがデボラのためにレストラン貸し切りにするというこれまでないくらいの張り切りを見せております ここのデボラのお衣装ほんと皇后ですよねぇ…これはヌードルスも期待しちゃうわ(??)
そしてお食事も終わりあのクソデカ感情部屋ですねぇ…望海風斗さんまぁたおんなじ過ちを繰り返して…って思いますがつらつらと感想やら述べていきたいと思います
このバラを敷き詰めた部屋でヌードルスは本当にロマンチストだなぁと思いました 小さなころの約束をちゃんと覚えていて実現させちゃうなんて
これがもし1000本だったら「一万年の愛」という意味になるらしいです この説推してます
「昔 約束しただろう バラの花びら敷き詰めた部屋に案内することを」
「覚えているわ あの時を 小さな花束手渡して 大きな未来約束した」
「今ここに」
「今ここに」
前々回になりますかね ヌードルスとデボラすれ違っちゃってるんだよなぁ~!!!!って言ったと思うんですがそのすれ違いがここで大きな差を生んでしまっている
ヌードルスはずっとデボラを愛している だからその証にこうして約束したバラの花の部屋を用意した 幼い時デボラに渡した小さな赤いバラの花束は愛の約束だった
デボラは幼いころに約束したのはお互いの成功 お互いに大きな舞台で活躍して切磋琢磨しあおう あの時手渡された小さな赤いバラの花束はきっとデボラにとっては「愛の約束」というより「おめでとう」っていうものだったのかなぁ
そして王冠まで用意してしまうという皇后にさせる準備の徹底ぶり…
「どんなお妃よりもお前にふさわしい だがその輝きもお前には及ばない デボラ 俺はまだ皇帝じゃない デボラ だがお前を皇后にして見せる 今に必ず お前を」
違うの!!!!!!!!!違うのですよ!!!!!!
デボラは自分の力で皇后になりたいんだよ…!!!!!誰かにしてもらいたいわけじゃない 今まで努力してきた自分自身で頂点に上りたいんだよ…!!!!!!それをヌードルスが分かっていなかったということもデボラにとってショックなのだろうな…
ヌードルスには酷かもしれないけどデボラはきっとバラの部屋や王冠を用意しなくても愛してくれたよ 今までデボラのお願いをことあるごとに言い訳つけてかわして自分だけの一方通行に気づかなかったヌードルス なんか良くも悪くも青春ですよね 無鉄砲で 自分の愛情に気づいてほしくて必死で でもデボラは8年間以上の歳月ショービジネスという業界にいたから心が大人だった デボラはきっと高価なものを用意してもらうことは望んでいなくてそんなことはもうこの業界にいる間に何回もしてもらっていてそれが本当の愛情を証明することではないと気づいていたんだと思います ヌードルスに対して本当に様々なことを想っていたからこそ今までされてきたであろう高価なもので愛を示されることをヌードルスにまでされてしまうのはデボラの自分の中に気づかないように秘めていた不信感をとうとう認めなくてはならなくなった瞬間に感じますね デボラは自分の中身を知ってもらって心や行動で示してもらいたかっただけなんだろうなぁと…はぁしんど…すれ違いしんど…
マックスたちと同じ道を歩まないでと何回も言っても前科があるんだ、資金を貯めたら、と言われその挙句「俺たちはローワーイーストサイドの出なんだ」と言われたらもう何も通じないんだと思われても仕方ないと思っちゃう デボラはローワーイーストサイドの出でも差別も何も言われないよう誰も見ていないところでも努力という二文字では片づけられないほど血と汗と涙ながしていたのに…幼いころの自分を知っている初恋の相手に「ローワーイーストサイドの出なんだ」って多分一番言われたくなかったよ 一番言われたくない人に一番言われたくないことを言われた その時心に打たれた杭の深さたるや
きっとその後に言った「実は来週ハリウッドに立つことになったの」は最後のデボラのやさしさが与えるローワーイーストサイドの出でもまっとうな道を歩めるという道しるべ、そしてここでハリウッド行きを喜んでくれたらという一縷の望みにかけた発言だったと思います
才能と恋愛どちらを取るかという究極の選択 お互いに違う選択をしてヌードルスは自分の選択を相手に強要してしまった もうパズルのピースは全部抜け落ちてしまった 修復は不可能 デボラはもう自分が恋していたころのヌードルスはいないと分かってしまった 去り際の「分かって」にすべてが詰め込まれている
そこからの「愛は枯れない」
これはヌードルスからしたら自らの恋の終焉を告げる曲になりますね
突然ですがこの「愛は枯れない」って曲めちゃくちゃすごくないですか?
正直今回の本編ここからと言ってもいいような感じですよ!!これが書きたくてこの曲を聴いた時思い浮かんだ感想とかいろいろ書き溜めていたのですよ!!!!この「愛は枯れない」の魅力やら感じたことをビシバシとガンガン書いていきたいのですがまず小池修一郎作品においてこの一幕のエンディング…異例ですよね…というか宝塚の男役という枠組みでも異例な状況だと思います ヒロインに振られ逃げられ、おそらく永遠ともいえる別れを物語の終わりではなく一幕最後という物語の中盤でしたのですから…
そしてこんなにも盛大に振られる男役は短い宝塚ファン歴ですが観たことない
これは完全に自論ですがこの場面は
「小池修一郎氏が作り上げた男役望海風斗への特大級のラブレター」です あんなにみじめな振られ方 常に愛を生む芝居をする宝塚では正直ギャンブルですよ 今回のは確実にいけるって自信が無いと踏み込めない領域 宝塚の男役はどうしてもどこか非現実でそここそが我々を引き付ける魅力なのですがこのシーンはフィクションでありフィクションであってはいけない 豪華絢爛で夢のような舞台セットの中にノンフィクションでリアリティのある人間がいるからこそその役が訴えかける心情が我々の心をつかんで離さない そんな構図になっているのが素晴らしすぎる ぴったり当てはまる男役じゃないとただ可哀そうな場面になってしまう でもこの公演では客席をゾクゾクするほどに震わせ魅了できる場面になっている これは小池修一郎氏が望海風斗ならできると確信を持ったからこそ生まれた場面だと私は思います
そんでもって望海風斗さんすげぇ…すげぇよ…ってべた褒めタイムなるんですけどこの一幕最後って血のにじむような、時には地べた這いつくばって泥水すするようなとんでもない努力を成しえて、男役という偶像にすべてをささげたからこそできる場面だと思っているのですが皆様どうでしょうか?!!?!?!?!??!望海さんの地に足ついた演技だからこそできるじゃんって…思うんです…
それになにあの魂の絶唱は 歌に魂をのせてなおかつ燃やしているという なにをどうしたらそんなことができるようになるの…?歌っているんじゃないもの…歌が人間の叫びになっているんだもの…これはミュージカルって突然歌いだすでしょ ありえないじゃんって人に聴かせたくなるし見せたくなるよね…ミュージカルにおける歌は「登場人物の心情風景の代弁」だし「セリフの延長線上にあるもの」だと思っているのですがこんなにも歌であり歌じゃないと言いますか…歌なんだけど歌として聴くんじゃなくて感情がとめどなく溢れだしたむき出しの叫びみたいな…(マジで伝われ)こんなのってありますか…?ほんと好きだわ…こんな役者しらねぇよ…末恐ろしいよ…こんなに感情をバチバチにむき出しに歌うのにトゲトゲして痛いなんてことはない そして神滑舌のおかげで変に突っかかることなくダイレクトに脳に響く 癖がないのに唯一無二の歌唱 これを愛さずして何を愛すると そこまで思わされますよ こんなにも役なのにこんなにも望海風斗としても存在できているのも神業と言わずして何と言ったらいいんですか これはほかの方にちょっと言ったことなのですが望海さんはカメレオン俳優であると けれど世間が言う何にでも変われるという意味のカメレオンではなくその色には染まるけれどカメレオンという形は残っているという意味で 望海さんはその役の人生に染まれるけれど望海風斗という形は決して失わない
役者という枠組みの髄にいる方 この方は根っからの役者だと感じます 持ち前の歌唱力からショースターとも言われますが望海さんの真の魅力は役者であるときに宿ると私は思います
あくまでも自論ですご容赦ください!!!!!!
でも望海さんって楽器でもあるんですよねぇ…とか望海さんを褒めていたらきりがないんですけど…
はぁ~めちゃめちゃ望海さんのこと褒めちゃった まぁこれもまた望海さんが人生で出会った役者の中で一番好きだからなんですけど!!!!!!!(クソデカ感情)
そんでまた歌詞なんですけど「陽が沈み 心が闇に溶ける時 この俺も愛のない世界に 深く沈んでゆく」ってプロローグの「摩天楼のジャングル」での「非情の掟 背負いつつ」とか「俺たちは影を消す 夜明け前の摩天楼に」のことを言っているのか…?とか勝手にめちゃ深読みしてしまった…いや「陽が沈み」って青春の終焉も思わせるけどさ…プロローグではギャングの家業と言いますか…やってること歌っていることすべてかっこいいんですよね…何となくギャングとしての誇りを持っている時期なのかなと…プロローグのあのオープニング感のある演出がされている場面を本編に組み込んでしまうとおかしいかもしれないですがあれは確かにヌードルスが「ギャングスター」だった時期なんですよ…それが「愛は枯れない」になると
ギャングが姿をひそめて仕事をする闇夜を夜明け前の摩天楼を「愛のない世界」と表現するヌードルスの心情の変化が本ッ当に鳥肌…「非情の掟」も「愛のない世界」を構成する大きな1つになるし…何となくここでデボラへの恋も終わり、ギャングとしての誇りも燃え尽き寸前になってしまったのかな…完全に私の想像と言いますか予想みたいなものなんですけど…この一幕最後からデイヴィット・ヌードルス・アーロンソンという存在の死が徐々に始まると思っているのですがヌードルスはギャングで社会的に言ったら悪なんですけど悪になりきれないところがまた人間らしいな…それゆえヌードルスという存在の死が待っているのだろうな
「バラの香りに包まれて 俺の愛が散って行く その花びらは知っている」
これ音源聴いてて思ったんですけど「散って行く」と「知っている」って発音似てるなぁ…きっと韻ってやつなんだろうけど「俺の愛が散って行く その花びらは散っている」だったら…深読みしすぎやろ!!!!!って怒られそうですがこれが私のさがだから許して…散っているにしちゃうとそのあとの「愛は枯れないことを」と繋がらないのは百も承知なのですがこの歌詞だとヌードルスの心の中にも大切な一輪のバラがあってその花びらがはらはらと落ちているのを強調しているように聞こえてまた趣深しですね…
もちろん後ろのバラたちはヌードルスの愛の残骸のメタファー的存在だとは思うのですが心の中に大切な一輪のバラがあってくれ というか私があるって思うなら私の中ではあるんや!!!!!という精神でやらせていただいてます(????)
そして超絶fffで歌い上げた後「デボラ…」ですよ…
愛憎込められているような言い方でハァァ…!なりますわ 恋は終わったが愛は尽きることないのがひしひしと感じる
音楽の盛り上がり方も序盤はストリングスから始まる切ない旋律ですが終盤になればなるほど音量は増し、武骨で男くさいサウンドに変化していく様はデボラへの愛は失われていないのをここでも表しているように感じます
この場面は男役として生涯を歩んできた中でも特別な人にしかできないなぁと思わされます だってあんなにバラの花を背負って一人の女性への愛の叫びを魂で表現しなくてはならないのだもの
そしてバラを投げたァァァァァァ!!!!!!!
やっとバラを投げるところまで書けた…ッ
バラを投げたのはアンダルシアぶりですかね…?あの時は一本だったけど今回はごっそり掴んで投げてねぇ…成長したねぇ…(????)
ここまで「愛は枯れない」についていろいろ言いましたが一言で言えと言われたら
天ッ才
っていうしかないくらい天才 すべてが天ッ才 多分まだ言えてないことがあるくらいいろんなものが込められている けどそれに気づけていないしもっと的確な表現があるはずなのにそこにたどり着けていないのが悔しい 悔しいですッ!!!!
もう一回言っておく
天ッ才
何回言っても足りん気がしてきたよ!!!!!キリないからこれくらいにしておくけれども!!!!!
ということで
わたくし、まことちゃんのワンスの感想考察詰め合わせやっとこさ一幕最後までたどり着いたのですが二幕書けるか正直わかんない…これをあげたら燃え尽きてしまいそうで…ツイッターでは元気にしてるだろうけどさ…書けたらいいな…(遠い目)
けどちゃんとここまで書けてよかった…一区切りついた気がする…
でもまことちゃんは
枯れない~~~~!!!!!!!!!(きっと)